旧鹿児島県立種子島実業高等学校とは? わかりやすく解説

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旧・鹿児島県立種子島実業高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 05:16 UTC 版)

鹿児島県立種子島高等学校」の記事における「旧・鹿児島県立種子島実業高等学校」の解説

1904年明治37年3月 - 「熊毛郡種子島農林学校」(実業学校)として創立校地は現・榕城小学校敷地農業科乙種)を設置し定員60名とする。 1905年明治38年9月 - 新校舎(北種子村西之表城)へ移転1923年大正12年4月 - 「北種子村立種子島農林学校」と改称1930年昭和5年10月 - 「鹿児島県種子島農林学校」(西之表町立)に改称1937年昭和12年4月 - 新校舎完成し移転完了1946年昭和21年7月 - 県立移管により「鹿児島県種子島農林学校」と改称修業年限5年となる。 1947年昭和22年4月 - 学制改革が行われる。農林学校募集停止新制中学校併設し(以下・併設中学校)、農林学校1・2年修了者併設中学校2・3年生として収容併設中学校経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集行われず在校生2・3年生のみの中学校であった農林学校3・4年修了者そのまま在籍し4・5年となった4年修了時点卒業することもできた)。 1948年昭和23年4月 - 学制改革により農林学校廃止され新制高等学校鹿児島県種子島高等学校 第一部」が発足農林学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生農林学校4年修了者新制高校2年生併設中学校卒業者3年修了者)を新制高校1年生として収容併設中学校継承し在校生1946年昭和21年)に農林学校最後に入学した3年生のみとなる。 1949年昭和24年3月31日 - 併設中学校廃止4月1日 - 鹿児島県種子島高等学校から分離し、「鹿児島県種子島農業高等学校」として独立1956年昭和31年4月1日 - 「鹿児島県立種子島農業高等学校」と改称1959年昭和34年4月1日 - 「鹿児島県立種子島実業高等学校」と改称既存農業科加えて化学工学科家庭科新設1963年昭和38年4月1日 - 電気科新設家庭科家政科改称1986年昭和61年4月1日 - 化学工学科工業化学科改称1994年平成6年4月1日 - 農業科生物生産科に、家政科生活文化科に再編2003年平成15年4月1日 - 工業化学科募集停止2006年平成18年4月1日 - 生物生産科・電気科生活文化科の募集停止2008年平成20年3月31日 - 閉校104年歴史に幕下ろす

※この「旧・鹿児島県立種子島実業高等学校」の解説は、「鹿児島県立種子島高等学校」の解説の一部です。
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