旧オリエンタルホテルとは? わかりやすく解説

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旧オリエンタルホテル (1870 - 1995)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 02:01 UTC 版)

オリエンタルホテル」の記事における「旧オリエンタルホテル (1870 - 1995)」の解説

1870年明治3年)にオランダ人のG・ファン・デア・フリース(G. van der Vlies)により神戸外国人居留地79番地にて開業した(ただし、明治3年初頭発行され宣伝広告発見されたため、明治3年以前開業していた可能性が高い)。1887年明治20年)に122番地フランス料理店「レストラン・フランセーズ」(Restaurant Francaise、1886年開業)のオーナーであったフランス人のルイ・ベギュー(Louis Begeux)の所有となって81番地移転した1897年明治30年)、アーサー・ヘスケス・グルームArthur Hasketh Groom)およびエドワード・ハズレット・ハンターEdward Hazlett Hunter)らの所有(後に有限会社移行)となり、日露戦争ヶ月前、訪日ロシア陸軍大臣クロパトキン将軍一行6月18日から宿泊する1907年明治40年)に6番地移転した。このときの、神戸港メリケン波止場近く海岸通面するという立地得て風見鶏の館を手がけた建築家ゲオルグ・デ・ラランデヤン・レッツェル共同設計した3代目となる建物は、当時日本最高のホテル一つ称された。素晴らし食事提供するホテルとして知られとりわけ神戸ビーフ名声世界広めた施設一つとされている。 1917年大正6年)には東洋汽船所有となり、1926年オリエンタルホテル株式会社発足したホテル事業大成功収めたが、3代目建物1945年昭和20年6月5日神戸大空襲被弾して半壊し復旧できずに取り壊された。 1948年昭和23年6月グリル宴会場のみで営業再開し1964年昭和39年)に25-26番地移転しモダンな外観世界初となる灯台設置したホテル建物4代目)を新築して営業再開した運営法人一時坪内寿夫率い来島どっくグループ属していたが、来島どっく経営難により1987年当時絶頂期にあったダイエー売却されるダイエー傘下入り後は、ダイエー資本によって新神戸オリエンタルホテル神戸メリケンパークオリエンタルホテルという姉妹ホテル建設された。本家である当ホテルは、1995年平成7年)の阪神淡路大震災倒壊はしなかったものの建物大きな被害を受け、ホテルとして営業困難になったことから、暫く休業した後に廃業したその後建物取り壊され125年長き歴史に幕閉じた。なお、併設されていた灯台は、神戸メリケンパークオリエンタルホテル開業とともにそちらへ移転している。

※この「旧オリエンタルホテル (1870 - 1995)」の解説は、「オリエンタルホテル」の解説の一部です。
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