ダイエー傘下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:26 UTC 版)
「ドムドムハンバーガー」の記事における「ダイエー傘下」の解説
ダイエーとアメリカのマクドナルドは双方の出資による合弁会社を設立し、日本での事業展開を計画していた。しかし、合弁会社の資本比率で米マクドナルド側が50%ずつを主張したのに対し、ダイエー側、特に創業者である中内㓛は主導権を握れる51%以上を主張したため、この計画は破談となった。そこでダイエーは、独自の研究下でハンバーガーチェーンを展開することとなり、ドムドムハンバーガーが生まれた。 1970年2月に東京都町田市のダイエー原町田店(最後は、ダイソーギガ町田店・グルメシティ町田店を経て解体、後にダイエー町田店)前に日本初のハンバーガーショップを出店する(のちトポス町田店閉店の際にともに閉店)。このために株式会社ドムドムが設立された。日本人に本場の味が合うかわからなかったため、純国産ハンバーガーチェーンとして開店した。 1980年に、親会社だったダイエーがアメリカの大手ハンバーガーチェーンであるウェンディーズとフランチャイズ契約を結んだ際、ウェンディーズ側は「20年以内に100店舗以上、ウェンディーズを出店」することをダイエー側に要求したため、ダイエー側はダイエー内に入居しているドムドムハンバーガーをウェンディーズに転換することで対応した。そのため、株式会社ドムドムは社名を改名し、株式会社ウェンコ・ジャパンに変更した。Wenco Japan とは、Wendy's corporation Japanを略したものである。これにより、ドムドムハンバーガーは店舗数を減らすこととなる。これ以降、社内にはドムドム事業本部とウェンディーズ事業本部が並行しておかれ、フランチャイザーでありながらフランチャイジーでもあるという、あまり例のない業態の会社となる。 1997年時点で店舗数は全国で355店舗だった。 1997年3月に、ドムドム事業本部は株式会社ウェンコ・ジャパン(のちの日本ウェンディーズ、2011年設立の日本法人のウェンディーズ・ジャパンとは無関係)より株式会社ダイエーファーストフーズサービス(以下DFFS)へ営業譲渡される。このときDFFSは同時に社名も株式会社オレンジフードコートへと変更された。ただしこの時点では、社内にドムドム事業本部とフードコート事業本部が置かれており、ドムドム事業本部の社員は株式会社ウェンコ・ジャパンからの出向扱いだった。1998年3月にはドムドム事業本部とフードコート事業本部は統合され、旧ドムドム出身者は、ウェンコ・ジャパンからの出向扱いから正式にオレンジフードコート所属となり、ダイエー内フードコートの店舗は統合され、それぞれ店舗内のショップという扱いに変更された。 1999年3月、大規模な店舗では支配人制となり、その下で各ショップのショップマスターが責任者という形態になる。 2001年3月、再び事業部別体制となり、ドムドムは単独事業部となった。 前述のような設立事情から、ダイエー店舗内のハンバーガーショップはドムドムが出店するため、旧ヤオハンを引き継いだダイエー櫛形店などの例外を除けば、基本的にマクドナルドなどが出店することは無かった。2001年以降はインサイダー問題で中内功がダイエーグループの経営から手を引いたため、マクドナルドなどの出店が実質上解禁となり、ダイエーや系列店だったマルエツの店舗内にマクドナルドが出店するケースが増えている。更にダイエーに残り日本全国で展開していた店舗も、ダイエーの経営不振による多数の閉店によりドムドムハンバーガーも一緒に撤退するケースが続出した。 2015年からはメニューに野菜を多く取り入れるなど、健康志向の新業態である「ディーンズバーガー」に転換する店舗が出始めた。
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