ダイエー傘下入りと衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:42 UTC 版)
「横浜ドリームランド」の記事における「ダイエー傘下入りと衰退」の解説
詳細は「日本ドリーム観光」を参照 1970年代から1980年代初頭にかけては、京浜地区で競合する施設が少なかったことなどから苦戦のうちにも年間160万人の入場者を数えたが、1983年の東京ディズニーランド開園などを契機として入場者数は不可逆的な下降をたどる。時をほぼ同じくして、日本ドリーム観光本体では創業者である松尾國三の死去(1984年)をきっかけに、松尾の遺族と日本ドリーム観光経営陣との間で泥沼の経営権争いが発生した。最終的に経営権は遺族の手に移るが、後に日本ドリーム観光は遺族を支援した中内㓛によって1988年にダイエーに吸収され、横浜ドリームランドはダイエーの子会社であるドリームパークによって運営されることとなった。 ダイエーは当時、プロ野球球団・南海ホークスの買収など積極的な事業拡大を進めており、横浜ドリームランドにも再興の期待が膨らんだが、間もなく訪れたバブル崩壊とともに水泡に帰した。その後も横浜・八景島シーパラダイスやよこはまコスモワールドなどの競合施設の出現に加え、少子化やレジャーの多様化も要因となって入場者の減少に歯止めがかからず、年間入場者数は最盛期の約半分程度まで落ち込んだ。結果、陳腐化が進んだ園内アトラクションの大規模な入れ替えや施設改修に資金が回らず、それがさらなる入場者数減少に結びつくという悪循環に陥っていった。また、長年にわたり開店休業状態であったホテルエンパイアも1995年に営業終了し、以後閉園に至るまで廃墟として残されることになる。
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