ダイエー・トポス時代とは? わかりやすく解説

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ダイエー・トポス時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 23:47 UTC 版)

甲府銀座ビル」の記事における「ダイエー・トポス時代」の解説

1970年代甲府中央商店街付近に岡島百貨店スーパーマーケットチェーンであるオギノ本店など複数核店舗をはじめいくつも商店街入り組んでいる状態であったが、核店舗はいずれ県内資本地域密着型であったため、全国チェーン大規模資本参入目論むうになる中央商店街核店舗結託して県外資本参入阻止しようとするが、中央商店街の中で外れにある銀座通り商店街甲府駅前に県外資本店舗進出することに危惧しそれならば当時事業拡大していたダイエーをあえて中央商店街誘致する決断取った。そして東映系の映画館電気館跡地地上8階建、地下1階建のビル建設し1974年昭和49年)に中心部初となる県外資本核店舗ダイエー甲府店(愛称甲府ショッパーズプラザ)が開業したダイエー甲府店の影響大きく経営難が囁かれていた丸の内地区にある中込百貨店経営破綻決定付けただけでなく、中央商店街歩行量大幅に押し上げる結果となった結果としてダイエー甲府店の進出甲府中央商店街にとってもプラス働いたが、中込百貨店跡に甲府西武進出したのをはじめ、岡島百貨店甲府駅前の山百貨店増床改築実施するなどしたためダイエー総合スーパートポス」への業態転換行ない1989年平成元年9月9日トポス甲府店に改称した。 しかしこの頃からモータリゼーションの影響による郊外化進み駐車場確保困難な状態である中心部商業施設軒並み低迷トポス甲府店も例外ではなく売上げ落ち込んでしまう。また親会社ダイエー平成不況阪神・淡路大震災の影響から経営危機に陥り、不採算店の整理開始する。そして1998年平成10年)に甲府西武閉店するとさらに客足が遠のき、翌1999年平成11年11月14日甲府店も不採算店の対象になり、閉店した

※この「ダイエー・トポス時代」の解説は、「甲府銀座ビル」の解説の一部です。
「ダイエー・トポス時代」を含む「甲府銀座ビル」の記事については、「甲府銀座ビル」の概要を参照ください。

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