旧オーバルコース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:40 UTC 版)
「モンツァ・サーキット」の記事における「旧オーバルコース」の解説
当初は5.5kmのロードコースと4.5kmのオーバルコースを組み合わせた全長10kmのコースだった。ホームストレートを境にふたつのコースが交互に入れ替わる形で、グランドスタンド側のホームストレートからロードコースを1周し、ピット側のホームストレートからオーバルコースに入る、という方式だった。ロードコースの中間付近(現在のアスカリシケイン手前)には、オーバルコースが頭上を跨ぐ立体交差がある。 安全性への懸念から1939年にオーバルの全面使用を止め、ロードコースにオーバル後半を組み合わせた全長6.3kmのレイアウトに改修された。 1955年にはオーバルのバンク外周部分の高さを10mに引き上げ、5.750kmのロードコースと4.250kmのオーバルを併用する複合コースに戻った。F1イタリアGPではこのレイアウトを4回使用した(1955年,1956年,1960年,1961年)。1957年と1958年には、アメリカからインディ500の出場マシンを招待して、オーバルコースで欧米対抗戦の「レース・オブ・ツー・ワールズ(Race of Two Worlds:通称『モンツァ500』)」が開催された。 バンク部分はマシンに強い荷重が懸かる上に路面の舗装状態が悪く、1960年イタリアGPではイギリス系チームが危険として出場を取り止めている。1961年イタリアGPではヴォルフガング・フォン・トリップスのマシンがロードコースの最終コーナー手前の観客席に飛び込み、フォン・トリップスと観客14名が死亡するという惨事が発生した。以後、F1ではオーバルコースは使用されなくなった。 なお、1967年公開の映画『グラン・プリ』は「複合コースでのイタリアGP開催」という設定のもと撮影されており、オーバルでの超高速バトルの雰囲気を知ることができる。現在は第1シケイン手前や最終コーナー外側にバンクの名残りを見ることができる。 毎シーズン後の人気イベント「モンツァ・ラリーショー」(2020年はWRC公式戦ラリー・モンツァ)では、オーバルの一部にシケインを設置してラリーカーが走行する。
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