日本初の整理券方式ワンマンバス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:38 UTC 版)
「神奈川中央交通」の記事における「日本初の整理券方式ワンマンバス」の解説
このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった。特に車掌の採用難が厳しくなったことから、当時都市部の一部路線で行われていたワンマン化を進める事になった。しかし、ワンマン化自体は1951年に大阪市交通局で実施されていたが、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった。しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受の確実化を図る必要があった。 そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に乗車整理券を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年11月1日より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙で、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われたが、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法となり、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された。それを受けて、1965年2月1日より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。1966年にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年10月1日には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。 日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初であり、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり、労使共に説得したこともあるという。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、1974年5月の大秦野駅とヤビツ峠を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している。
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