日本初の女性参政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:26 UTC 版)
1878年(明治11年)の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。」と楠瀬喜多は高知県に対して抗議した。しかし、県には受け入れてもらえず、楠瀬は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)9月20日、3ヶ月にわたる上町町会の運動の末に県令が折れ、女戸主に限定されていたものの、日本初の女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現した。 この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカのワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といった極一部で、欧州の殆どの国では実現してはおらず、日本でのこの動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となった。しかし、4年後の1884年(明治17年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除された。
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