日本初の常設映画館とは? わかりやすく解説

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日本初の常設映画館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 17:24 UTC 版)

電気館」の記事における「日本初の常設映画館」の解説

1903年明治36年10月1日吉沢商店が、東京市浅草区浅草公園六区現在の東京都台東区浅草1丁目424号)に、「日本初めての常設活動専門館」としてオープンした。「常設」というのは、当時活動写真映画の上形態が、映写機会場設置しての「移動上映中心だったからで、演劇等の実演混在させない映画専門であったそれまで同地には「電友館」というエックス線実験見世物小屋があり、「電気館」はこれを改称したのである1907年明治40年7月京都横田商会が、大阪難波に、日本2番目、大阪では初の常設映画館千日前電気館」を開業した以降全国各地に「電気館」を名乗る映画館ができた。1911年明治44年)には、窪寺喜之助熊本初の活動常設館電気館」を現在の市内シャワー通創設している。熊本電気館1914年大正3年)に現在の所在地移転以来、現在も存在している。⇒#他地域の電気館 1912年大正元年9月吉沢商店は、福宝堂横田商会M・パテー商会との4社合併で「日本活動写真株式会社」(現在の日活)を設立した。「電気館」は日活直営館となるが、すぐに松竹手放す松竹経営になってからは、松竹蒲田撮影所製作の映画洋画の混映館となった1931年昭和6年)に帝国キネマ演芸松竹資本導入されて、新興キネマ改組されてからは、新興キネマ作品封切館となる。1942年昭和17年)、新興キネマ大都映画等と統合されて「大日本映画」(のちの大映となって以降は、大映封切館となった1971年昭和46年11月29日大映倒産その後に、松竹子会社中映に「浅草電気館」を移管した。1976年昭和51年2月29日閉鎖された。

※この「日本初の常設映画館」の解説は、「電気館」の解説の一部です。
「日本初の常設映画館」を含む「電気館」の記事については、「電気館」の概要を参照ください。

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