日本における学生自治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 01:59 UTC 版)
第二次世界大戦前の日本においては、課外活動を推進するものを除いて、学生自治はほとんど存在しなかったといわれている。社会科学研究会の全国組織であった学生連合会などが、生活部面における学生自治を求めてはいたが、実現はしなかった。 学生自治の進展は、1948年の全日本学生自治会総連合の結成によるところが大きいともいわれている。初代・執行委員長である武井昭夫は、層としての学生運動論を提起し、学生が労働者を始めとするあらゆる階層と提携して社会変革を実現できると主張した。これは、学生の人間としての活動の大半について学生同士が積極的に助け合おうとする考え方に基づくものであった。ただし、大学内の諸組織と連絡調整を図る事や、学校・企業・公益団体など管理職や経営者と積極的にコミュニケーションすることについては、常に積極的に行われたと言い切れない面もあり、この考え方を評価するにあたっては難しさがある。 学生自治は、1960年代にピークを迎え、政治に無関心な層が多い女子大学や、高等学校でも自治的な組織が結成され、あるいは自治組織に改組されていった。 学園紛争・学園闘争が収まった後は、政治活動を行おうとする学生自治は急速に衰退していく。学生自治会が特定の党派に乗っ取られ、一般学生とは無縁になったものや、学生自治会の役員の担い手がいなくなり、学生自治会そのものが消滅したものなどが見られる。また、学生自身が他の学生と協力して事業を行うことにあまり興味が示されなくなり、大学の教職員の発言力が増していったともいわれている。 1980年代以降、学生自治は、課外活動を主たる対象として再編が図られた。これは、教育活動の一部を学生自身によって運営することを指向するものであった。しかしながら、興味別の課外活動においても、学生離れが起こるようになった。課外活動を主とする学生自治から学生が離れていくことは、課外活動の減衰を意味し、大学で行われている教育活動の一部が削られていくことを意味している。このため、大学内においては、学生自治の再興も教職員と学生の双方の立場から希望されるようになってきている。 1990年代以降は、学生の意見を積極的に大学運営に取り入れようとする風潮が高まっており、大学運営に参加する学生の選出や、学生の意見を集約する意味合いでの学生自治も注目されている。このような学生自治は、大学の教職員との協力関係・信頼関係にも基づいて行われるという性質を持ち、学生自治の機能が明確化されているという長所もある一方で、学生自治の構造が複雑化しやすく学生自治の一般学生の参加を妨げる原因になるやすいという短所も指摘されている。
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