日本における儒者とは? わかりやすく解説

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日本における儒者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:13 UTC 版)

儒学者」の記事における「日本における儒者」の解説

日本の儒教」を参照 儒教日本に伝来した古代から中世には、紀伝明経明法算道四道講じる者を四道儒者呼称し、清原氏中原氏などの博士儒者この頃儒者代表例である。ただしこの頃経典漢籍一環として博士仏僧神職などの各職域身分において学ばれており、「儒者」という職業身分存在しなかった。儒者の職・社会的身分成立するのは近世以降のことである。 戦国時代の末から江戸時代初期に、政治・学術的知識儒学求められ中国・朝鮮漢字文献輸入流通拡大した。それによって儒学転籍読解講釈する専門家出現し、これが儒者呼ばれるようになった江戸幕府林羅山登用して以来幕府に御儒者(おじゅしゃ、おずさ)という役職設けられた。これは将軍経典講じ文学学問司るであった林家3代目林信篤以降従五位叙され家禄3500石を受けたまた、新井白石1000石の禄を得ている。このような林家新井待遇の例はあるものの、一般の御儒者家禄200から300程度であり、天保以降教授所に勤め儒者1530人扶持であった諸藩においても、野中兼山10000石、熊沢蕃山3000石を執政番頭の禄として得ていた例をのぞけば200石以下が一般的であった。 これらの儒者出身身分江戸時代初期には浪人中期以降には商人医家多く武士以下の階層から出て精神的に武士指導する地位に立つことができた。また中江藤樹伊藤仁斎のような在野で儒を説く儒者出現し、彼らはしばし窮乏したものの、出仕せずに大名儒学講じ社会的地位を得る者もあった。享保以降儒学研究経学史学考証学などに分化し儒者称するものの一様ではなくなった。中国・朝鮮のように為政者率先して儒学担い手になることがなく、儒者生活基盤は弱いものであり、中には漢学者として儒教以外のテキスト用いて蘭学兵学などの諸学転換する者もあった。

※この「日本における儒者」の解説は、「儒学者」の解説の一部です。
「日本における儒者」を含む「儒学者」の記事については、「儒学者」の概要を参照ください。

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