新京新市街とは? わかりやすく解説

新京新市街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)

新京」の記事における「新京新市街」の解説

1932年大同元年3月満鉄経済調査会に於いて新京都市計画立案開始された。一方同年4月1日満洲国国務院直属の「国都建設局」が設置され新京地形測量及び地籍測量国都建設立案開始した同年8月関東軍特務部の主催による、関東軍満鉄満洲国国務院の3者による連合打合会が開催され満鉄経済調査会国都建設局の両案が比較された。執政府及び官庁街位置巡って満鉄経済調査会国都建設局双方対立したが、同年11月17日満鉄経済調査会案を取り入れた国都建設局最終変更案が決定された。また、事業開始先立ち国都建設計画区域内及びその周囲一円内に対する地債売買禁止令を発布し民間に於ける土地売買担保等が禁止され土地買い占め地価高騰等の弊害除去した新京都市計画満鉄附属地基準に、新京駅前から南に延び中央通を更に南に延長し大同大街呼ばれる大通り建設した途中には大同広場呼ばれるロータリー建設され新京都心とされた。大同広場西方には執政府(後の帝宮造営地が設けられ、その南面東西興仁大路南方順天大街呼ばれる幹線道路造られた。政治中枢順天大街から南方の安民広場亘る官庁街文化・教育中枢南嶺地区交通の中枢新京駅と孟家屯駅との中間新設する中央大停車場(後の南新京駅)を建設して市の玄関口とした。また、東方伊通河沿岸区画して工業地域とし、市民煤煙騒音から遠ざけるようにした。その他に国際飛行場国際大運動場、競馬場建国記念塔、大記念門建国記念公会堂等の建設計画された。 財務部文教部、司法部、外交部国都建設局国道局等の諸官庁は新市街建設され国務院首都警察庁等の大建物の建設行われた。なお、満洲国官吏多くもこの区域住居建設した新京公園広場街路の名称は、建国理想如実に表現し得るもの、及び満洲国各地の名称中で含蓄余韻があるもので、音調宜し記憶しやすい物を選定し1933年大同2年4月19日付で布告された。また、建設計画区域内の村落適当な名称は、その因縁考慮して該当地点街路名保留採用した

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