新京阪帰属後の変遷とは? わかりやすく解説

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新京阪帰属後の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 04:18 UTC 版)

北大阪電気鉄道」の記事における「新京阪帰属後の変遷」の解説

新京阪鉄道譲渡後予定通り1925年大正14年10月15日天神橋駅(現天神橋筋六丁目駅) - 淡路駅間、1928年昭和3年1月16日淡路駅 - 高槻町駅現高市駅)間、同年11月1日高槻町駅 - 京都西院駅現西院駅)間を開業させ、第二京阪線を実現させた。 しかし、折しも昭和恐慌影響京阪グループ自体経営危うくなり、新京阪鉄道沿線人口希薄であったことから、特に悲惨な状況陥った京阪電気鉄道再編のため新京阪鉄道買収すること[要出典]を決定1930年昭和5年9月15日実施した。これにより、天神橋駅 - 京都西院駅間は本線扱われ新京阪本線十三駅 - 淡路駅間は十三線淡路駅 - 千里山駅間は千里山線呼ばれるようになったその後1943年昭和18年10月1日には阪神急行電鉄京阪電気鉄道合併され京阪神急行電鉄となる。戦後1949年昭和24年)に京阪電気鉄道分離するが、その際に旧新京阪線阪急存置され、天神橋駅 - 阪急京都駅(現大宮駅)(1931年開業)間は京都本線呼ばれるようになった。 そして1959年昭和34年2月18日阪急宝塚本線梅田駅 - 十三駅間の三複線化が完成しそれまで宝塚本線十三線経由梅田駅への乗り入れ図ってきた京都本線列車千里山線列車一部も)は、本格的にこの線路用いて天神橋駅代わり梅田駅ターミナルとするようになった。そのため、このとき再び線名改定が行われ、十三駅 - 阪急京都駅間が京都本線天神橋駅 - 千里山駅間が千里山線となったその後1967年昭和42年)の北千里駅までの延伸時に千里山線千里線改称して現在に至っている。 なお、1967年昭和42年)に設立され1970年昭和45年)に開業した北大阪急行電鉄は、京阪神急行電鉄設立した子会社で、その路線である南北線阪急千里線並行するように敷かれている。

※この「新京阪帰属後の変遷」の解説は、「北大阪電気鉄道」の解説の一部です。
「新京阪帰属後の変遷」を含む「北大阪電気鉄道」の記事については、「北大阪電気鉄道」の概要を参照ください。

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