新京成での変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 10:08 UTC 版)
1963年、104・101・118・123・117・122を第一陣として譲受し、その後4度に分けて25両全車を譲受した。このころ新京成線沿線には相次いで団地が建設されたため主力車両として使用された。譲受後に窓枠のアルミ化が順次行われた(半鋼製車体の4両は除く。105・106は後年アルミ化)。 103など、転入後も暫くは青電塗装のままだった車両がある。 126形については譲受後の1963~1965年に車体を新造、200系車体新造車を短縮した形の全金製車体となった(ベンチレーターはグローブ型)。この時133を131に改番。1975年には台車をD-16に変更した。 1973年(昭和48年)からは全金車のみ特別修繕が行われた。計画当初は車体新製を含む大掛かりなものとしていたが、見直しの結果特別修繕へと変更となり対象両数も17両から4両程度までに圧縮され、残りは廃車を予定していた。しかし、沿線の宅地化の進行により利用者が急増したため最終的に全金車全車が対象へと変更され、1980年 (昭和50年)からの施行分に付いては延命期間の拡大を狙い修繕内容の変更がなされた[要出典]。片運転台化および中間電動車化(102・103・105・106・109・117・122)、前照灯の2灯化、側引戸交換、連結面の切妻化などが行われた。細部にも様々な違いがあり、同じスタイルの車両は一両もない状態となった。特別修繕対象から外れた半鋼製車体の4両は1979年(昭和54年)に廃車された。131・132は1981年に廃車された。 車両更新を繰り返したことから非常に寿命が長い車両だったが末期は16m車故に収容力が小さいことから2000形や1100形などと8両編成を組んでラッシュアワーを中心に使用された。1986年(昭和61年)から8800形に置き換えが始まり、1987年(昭和62年)7月の107・108・124を最後に全車廃車された。 現在は使用していた台車がAE形(初代)などと共に宗吾車両基地にて保存されている。
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