新京妙心寺別院開創から終戦
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「山本玄峰」の記事における「新京妙心寺別院開創から終戦」の解説
1936年(昭和11年)7月、新京に妙心寺別院を開創し、11月には新京妙心寺別院禅堂の開単式を挙行。1941年(昭和16年)10月には遂に正式に龍沢寺の僧堂開単が認められる。1945年(昭和20年)、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したとも言われ、天皇を国家の「象徴」と定義する(象徴天皇制)よう発案するなど、鈴木貫太郎首相などの相談役なども務めた。また終戦前後の玄峰の活躍や『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』の詳細に関してはNHK教育テレビ放送で、当時の全生庵住職の平井玄恭が詳しく語っている。
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