斉藤貢とは? わかりやすく解説

斉藤貢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 04:45 UTC 版)

斉藤 貢
基本情報
国籍 日本
出身地 埼玉県所沢市
生年月日 (1970-04-26) 1970年4月26日(55歳)
身長
体重
173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1995年4月2日
最終出場 2001年5月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

斉藤 貢(さいとう みつぐ、1970年4月26日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。1996年登録名は「ミツグ」。

経歴

所沢商業高校卒業後、明治大学に進学するも半年で中退[1]警備員等約20種類のアルバイトを経てプリンスホテルに入社[1]1992年の日本選手権では初戦先発で勝利、2回戦では先発・武藤潤一郎の後に3回無失点を抑えて逆転勝利を呼び込むなど準優勝に貢献。1994年東京スポニチ大会で優秀選手[2]同年の都市対抗野球には東芝府中の補強選手としてベスト8に貢献[3]同年秋の日本選手権では初戦から2試合連続完投勝利して、準々決勝では9回途中から登板したが逆転サヨナラ負け。1994年のプロ野球ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから2位指名され入団した[1]。当時の正捕手だった吉永幸一郎は「ミツグが10勝できなかったら、それはキャッチャーが悪い」とコメントしていた。

入団当初は即戦力として期待度が高く、新人年の1995年の開幕直後に先発ローテーションの一員となりこの年のパ・リーグ新人投手1番乗りで完封勝利を記録した。その後は先発と中継ぎの両方で起用され、2勝(6敗)を挙げた。

1996年に、斉藤和巳が入団して斉藤姓の投手が3人になったことや前年に斉藤学と混同されて登板が告げられたことがあったため[4]、登録名を「ミツグ」に変更するが、登板機会が減少。「相手に勝ち星を『貢ぐ』という意味につながり、ゲンが悪い」という理由により、僅か1年で再び本名に戻した。同年はウエスタンでリーグ新となる23セーブポイントを記録した[1]

1997年は一時抑えを務めるなど自己最多の32試合に登板するが、1998年プロ野球脱税事件に関与していたことが判明し、出場停止処分を受けた。それ以降、登板機会は激減する。2000年に二軍で11勝を挙げ最多勝と防御率1位の2冠となったが一軍での登板がなく、同年オフに球団から戦力外通告される[1]日本ハムファイターズの入団テストに合格し、2001年からプレーするが、一軍では結果を残せず、二軍でも防御率7点台と低迷したため再び戦力外となり現役引退[1]。引退後もチームに残り、2002年から2010年まで打撃投手を務めた。2011年東北楽天ゴールデンイーグルスへ移り、2013年まで打撃投手、2014年からは楽天イーグルスベースボールスクールのコーチ[5]と楽天戦を中心に解説者を務めている。

現在は、江東リトルシニアの総監督を務めている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 ダイエー 27 8 1 1 0 2 6 0 -- .250 380 88.0 94 10 41 0 3 45 0 0 50 48 4.91 1.53
1996 13 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 64 13.2 21 2 4 0 0 8 0 0 10 9 5.93 1.83
1997 32 0 0 0 0 0 2 4 -- .000 122 28.0 25 2 12 2 0 23 0 0 13 12 3.86 1.32
1998 8 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 65 14.2 19 1 5 2 0 5 1 0 9 9 5.52 1.64
1999 5 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 39 6.0 19 0 4 0 0 4 0 0 12 12 18.00 3.83
2001 日本ハム 14 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 78 16.2 19 3 9 1 1 8 0 0 12 11 5.94 1.68
通算:6年 99 8 1 1 0 3 11 4 -- .214 748 167.0 197 18 75 5 4 93 1 0 106 101 5.44 1.63

背番号

  • 12 (1995年 - 2000年)
  • 49 (2001年)
  • 97 (2002年 - 2006年)
  • 107 (2011年 - 2013年)

登録名

  • 斉藤 貢 (さいとう みつぐ、1995年、1997年 - 2000年)
  • ミツグ (1996年)

脚注

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、238ページ
  2. ^ '95スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  3. ^ 都市対抗野球大会80年史 日本野球連盟
  4. ^ “王”間違い!ピッチャー吉田豊彦のはずが…
  5. ^ “楽天イーグルス ベースボールスクール

関連項目

外部リンク


齊藤貢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 14:20 UTC 版)

齊藤 貢(さいとう みつぐ)は、日本外交官内閣官房内閣審議官等を経て、2018年から2020年にかけて駐イラン特命全権大使[1][2]。2021年より、東洋英和女学院大学非常勤顧問。

人物・経歴

東京都出身。1980年一橋大学社会学部卒業、外務省入省[3]カイロで2年間アラビア語研修を受けたのち、オックスフォード大学に留学し中東現代史を専攻した。その後在サウジアラビア日本国大使館在イスラエル日本国大使館勤務を経て、国際連合日本政府代表部安全保障理事会の中東関係を担当した[4]

外務省国際情報課長[5]在アラブ首長国連邦日本国大使館公使[4]内閣官房内閣審議官等を経て、2012年在タイ日本国大使館公使。2015年駐オマーン特命全権大使。2017年には自由民主党国際協力調査会会長を務める三原朝彦衆議院議員らとともにオマーン当局や日本企業幹部らと意見交換の場を開催するなどした[6]

2018年8月10日、駐イラン特命全権大使を拝命した[1]。2019年にはサーダバード宮殿での安倍晋三内閣総理大臣ハサン・ロウハーニーイラン大統領との首脳会談に参加するなどした[7]。2020年10月8日、ザリーフ外相を訪問して離任の挨拶をした[2]。2020年11月13日、退官[8]

2021年9月22日東洋英和女学院大学非常勤顧問に就任[8]。岡崎研究所コメンテーター[9]

著書

  • 『イランは脅威か―ホルムズ海峡の大国と日本外交』岩波書店 2022年

同期入省

脚注

  1. ^ a b ニュージーランド大使に小林氏  :日本経済新聞
  2. ^ a b 駐テヘラン日本大使が、離任前にイラン外相と会談 - Pars Today
  3. ^ 「アイルランド大使に三好氏、キューバ大使に渡辺氏 」日本経済新聞2015/10/20付
  4. ^ a b 「中東産油国との関係強化をめざして 在アラブ首長国連邦 」日本貿易会
  5. ^ [1]
  6. ^ 「大使館の活動(2017年7月~9月) 」外務省
  7. ^ 「外交安保取材】イラン訪問「ミッション・インポッシブル」に挑んだ安倍首相」産経新聞2019.6.26 01:0
  8. ^ a b 特別職国家公務員の再就職状況の公表について(令和3年4月1日~令和4年3月31日)”. 外務省. 2022年9月29日閲覧。
  9. ^ 中国とイラン+湾岸諸国 米国“撤収”につれ相互依存アップ 斉藤貢エコノミストオンライン2023年2月23日

外部リンク





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