市河彦太郎とは? わかりやすく解説

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市河彦太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 01:58 UTC 版)

市河 彦太郎(いちかわ ひこたろう、1896年明治29年)9月2日[1] - 1946年昭和21年)4月1日[2])は、日本外交官。駐イラン公使

経歴

静岡県の市河彦三の子として生まれる。市河家は沼津の大地主で豪商[3]。静岡県立沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)、第一高等学校を経て[4]1920年大正9年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業[5]フィンランド公使館一等書記官、外務書記官・文化事業部第三課長、同第二課長を歴任[5][6]1940年(昭和15年)12月、駐イラン公使に就任した[6]

1946年4月1日、第22回衆議院議員総選挙に立候補した森田豊寿の応援演説中に、我入道公会堂において脳溢血のため死去した[1]

沼津中学時代の後輩芹沢光治良の『人間の運命』に登場する主人公森次郎の親友・石田のモデルであるとも言われる[4]

父方叔母の夫に林市蔵[7]、妹の夫に九鬼紋七 (九代目)[8]。妻は広田理太郎の次女[9]加藤シヅエは妻の姉。妻側の遠縁に鶴見祐輔後藤新平などがいる。

脚注

  1. ^ a b 『沼津市誌 下巻』沼津市、1958年、p.589。
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、44頁。
  3. ^ 『沼津市誌』p399-405
  4. ^ a b 市河文庫沼津市立図書館
  5. ^ a b 人事興信録 1941.
  6. ^ a b 大衆人事録 1943.
  7. ^ 林市藏の履歴に関する研究(二) : 帝大卒業から警察監獄學校教授まで小笠原慶彰、京都光華女子大学研究紀要,44,107-127 (2006-12)
  8. ^ 九鬼德三『人事興信録』第8版
  9. ^ 廣田理太郞『人事興信録』第8版

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 

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