文書の内容について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
「95か条の論題」の記事における「文書の内容について」の解説
この文書は、ルターが自らの信仰を告白している始めと終りの部分の鉄の括弧でのみ一つとされているわけである。 — フリーデンタール、『マルティン・ルターの生涯』p165「九十五ヶ条提題」 多くの研究者は、この文書の具体的な中身については詳しく述べていない。ドイツの歴史家でルターの伝記を書いたリヒャルト・フリーデンタール(Richard Friedenthal)によれば、95か条は全体として「教理でも、体系でもなく、また、そのようなものではありえなかった」。これは議論をするためのメモ書き程度のものであり、「多くの提題はほとんど独り言」のようなものだった。ところによっては標語のようなものであったり、形になっていないものもあった。 ルターは、多くの民衆が言っていたことを1枚の紙にとりまとめただけであり、その最初と最後にルターの名前があるという以外に、文書全体を貫く思想といえるほどのものは無かった。しかしそのことがかえって、多くの階層の様々な人物に、自由な解釈を可能にしたとも考えられている。与えた影響として重要だったのは、論題の中身というよりは、ルターの意図には反していたかもしれないが、教会に対する批判を公言してもよいのだ、ということだった。後述するように問題が大きくなっていった頃には、既にこの文書の中身や文言が問題ではなくなっており、ルターの当初の意図とは全くかけはなれた状況となっていったのである。 どの条項からも証明できないのだが、この紙片の背後にはとてつもなく大きな力と決意、勇気と確信があるのだという感じが、また特にその影響をつよくしたのであった。 — フリーデンタール、『マルティン・ルターの生涯』p166「九十五ヶ条提題」 これとは異なる見解を示す者もいる。松田智雄によれば、「論旨は純粋に教義の問題としてとりあげられ、論じられている」。中には現実的な提題も含まれているものの、全体としては教会法や教義を論じたもので、とくに「許し」は教会法や贖宥状では得られるものではなく神の意志によるものだ、という考えが貫かれているとしている。『宗教改革小史』の著者K.G.アッポルドは、「贖宥の商業化を真正面から攻撃」するものだった、としている。 しかしルターは、この「95ヶ条の論題」の中では、贖宥状そのものを完全否定したわけではなく、一定の範囲では肯定している。贖宥状を購入して贖宥を受けられる事自体は認めているし、教皇を批判しているわけでもない。その贖宥が適用できる範囲が限定的であることを確認しているだけである。「95ヶ条の論題」で書かれた内容は、のちにルター自身が考えを変えたものも少なくない。たとえば「95ヶ条の論題」では煉獄そのものは否定されておらず、贖宥状の効果が煉獄までは及ばないとしているだけであるが、後にルターは煉獄そのものの存在を否定するようになった。ルターの著作のうち、内容面で宗教改革運動の理論に影響をあたえたのは、のちに著した「宗教改革三大論文」と呼ばれる『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える』『教会のバビロン捕囚について』『キリスト者の自由』である。
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