文字としての「古文」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 06:48 UTC 版)
前漢代、秦の焚書政策を免れて孔子旧宅の壁中や民間から発見された秦以前の儒家の経書のテキストに使われていた文字であり、当時の経書に一般的に使用されていた書体である今文(隷書体)に対して古文という(テキストについては下記、古文経学を参照)。 「古文」とは本来「古い時代の文字」という意味でしかなく、その定義は極めて曖昧なものである。しかし、後漢時代の古文経学者である許慎が著書『説文解字』に479字の古文(説文古文)を異体字として収録し、また三国時代、魏の三体石経が古文を使っていたおかげで、その一端を窺い知ることができた。 現在『説文解字』や「三体石経」に収録されている「古文」の字形を見ると、画の先が鋭く尖っており、金文に極めてよく似通っている。字形も同時代既にある程度の部首分けが可能な形となっていた大篆(小篆の原型)に比べると未整備な部分が多い。 近代になり、王国維は「戦国時秦用籀文六国用古文説」(1916年)において古文を戦国時代、秦以外の六国(斉・楚・燕・韓・趙・魏)で使用されていた文字と推定し、東方各国で発展した文字と考えた。西方の籀文に対し、東方の古文の系統を想定したものである。説文古文は『説文解字』の2000年にも及ぶ伝写の過程でその書風が大きく変わっている可能性があり、当時のものを反映しているとは言い難い。しかし、その字体構造については、その後、陸続と発見された出土文字資料(特に楚簡が中心となる)との共通性が確かめられ、六国文字は六国古文(りっこくこぶん)と呼ばれている。 また唐代末期には乱れた漢字の字体を整理するために典拠のある規範漢字を求めようとする文字校勘学、字様の学が興起した。その際に古文の収集も行われて十数種の古文集字書が著されたとされ、その成果は宋初、郭忠恕の『汗簡』や夏竦の『古文四声韻』に収められた。これらの書物は従来あまり顧みられなかったが、出土する戦国竹簡の読解に有用であることが分かり、古文の知識が唐宋時代にも残っていたことが知られた。
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