拡大・再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 09:27 UTC 版)
その後の数年を通じ、ペーネ造船所(ドイツ語版)など東ドイツ各地の造船所で人民海軍向けの大型艦船の建造が始まった。沿岸巡視艇(Küstenschutzschiff)や高速戦闘艇(Schnellboot)など小型艦艇の一部はソビエト連邦からの貸与品で、また支援艦艇の一部はポーランド製であった。ソ連製のヘリコプターも保有していた。艦砲やミサイル、機関銃などの搭載火器は多くがソビエト連邦製のものであった。 1961年8月13日、ベルリンの壁が建設されるに伴い、それまで内務省指揮下で国境警備に当っていた国境警察(Grenzpolizei)がドイツ民主共和国国境警備隊(Grenztruppen der DDR)に再編され、1961年9月15日には国防省及び国家人民軍に国境警備隊の権限が移譲される。再編時に沿岸警備隊相当の下部組織として設置された沿岸国境旅団(Grenzbrigade Küste,GBK)も、1961年11月1日以降は人民海軍の指揮下に入り、第6沿岸国境旅団(6. Grenzbrigade-Küste, 6. GBK)と改名した。 1965年、人民海軍は大規模な再編成を行った。全ての突撃戦力(Stoßkräfte, 高速戦闘艇部隊)はリューゲン島・ドランスケのブーク軍港に根拠地を持つ第6艦隊(6. Flottille)に組み込まれた。1970年代には人民海軍の総戦力はおよそ18,000人に拡大していた。1980年代には艦船装備の一部が更新され、1985年にはソ連製の戦闘爆撃機などを装備する第28海軍航空団(Marinefliegergeschwader 28,MFG-28)が新設された。第28海軍航空団は当初航空軍の指揮下にあり、必要に応じて人民海軍の指揮下に移されていた。1990年春には正式に人民海軍へと移管され、人民海軍の軍服と階級章が導入された。 1986年から1988年にかけて、オーデル湾周辺における係争中の国境地帯において人民海軍とポーランド海軍の散発的な衝突が起こり、最終的にドイツ民主共和国側の要求が受け入れられた。1989年5月22日の領海画定に関する条約は1949年以来初めての領海再確定となり、係争海域のおよそ3分の2がドイツ側の領海と認められた。
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