技術・工芸
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朝鮮半島の南東には弥生式土器が発見されており、楽浪郡と北部九州をつなぐ弥生人の拠点があったとされている。焼き物の須恵器、金工や製鉄などの金属加工技術、カマドなどの技術は5世紀に日本列島に伝わって急速に普及した。朝鮮の栄山江には前方後円墳などの倭系古墳があり、日本には女木島古墳など朝鮮半島系の古墳がある。日本最初の仏教寺院である飛鳥寺の造営では、百済や高句麗が支援をした。建設では、蘇我氏の配下である渡来人技術者の東漢氏、忍沼氏、朝妻氏、鞍部氏、山西氏らが参加して、本尊の造仏には高句麗が黄金を送った。日本産の青銅器の発見は紀元前3-4世紀、鍛造の鉄器は紀元前3世紀前後で、当初は朝鮮半島から入手した素材を再加工した。鉄鉱石からの製鉄が始まるのは6世紀後半、銅鉱石からの製銅が始まるのは7世紀からとなる。日朝の古墳や交易地の遺跡からは交流を示す工芸品が発見されており、三累環頭、垂飾付耳飾、土師器、筒型銅器、晋式帯金具などがある。
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技術・工芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 07:25 UTC 版)
ヨーロッパ人が南アメリカに進出した頃には、マプチェ族は塹壕と複雑な防御砦のネットワークを建築するに充分な技術を備えていた。また、金属加工や乗馬技術を素早く自分たちのものとし、小麦栽培や羊の飼育も取り入れた。スペインからの植民地と、相対的に良く自治管理されたマプチェの居住地は300年にわたって共存し、両者の間には強い交易関係が生まれた。マプチェ族が伝統的に持っていた銀細工の技術は広く流通したチリやスペインの硬貨の質を支え、また宝石類やヘッドバンドなどもその精巧さが高く評価されていた。近年では、彼らの文化を伝える機織や手工芸品が観光みやげなどになり、現金収入の一手段ともなっている。
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