原爆投下までの沿革
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1919年(大正8年)3月4日から物産陳列館で開催された「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」では、日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた。これは、第一次世界大戦中に中国の青島で日本軍の捕虜となり、広島湾に浮かぶ似島の似島検疫所内「俘虜収容所」に収容されていたドイツ人の菓子職人カール・ユーハイムによるものである。 1921年(大正10年)に広島県立商品陳列所と改称し、同年には第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなった。1933年(昭和8年)には広島県産業奨励館に改称された。このころには盛んに美術展が開催され、広島の文化拠点としても大きく貢献した。しかし、戦争が長引くなか、1944年(昭和19年)3月31日には奨励館業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として原爆投下の日を迎える。
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