原爆投下に対する考え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:08 UTC 版)
1997年(平成9年)に、原爆ドームの世界遺産登録に際して「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」を広島平和研究所に寄せ、「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対する報復としては仕方がなかった」と記した。1998年(平成10年)7月に、共同通信社の単独インタビューで「(原爆は)落とされるべきだった。(満洲事変から終戦までの十五年間にわたる)あまりに非人道的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった」と答えた。これを広島大学の川口隆行は「加害の認識と謝罪の徹底を通して原爆観の落差を埋めること、そして何よりも被爆体験の特権化による『被爆ナショナリズム』の解体にこそある」とするが、右派や被爆団体は非難した。 2007年(平成19年)に久間章生が「原爆投下は仕方が無かった」と発言して与野党や世論から大きな反発を受けた時に、「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と理解を示して「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と発言を支持した。
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