原爆投下に対する思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:28 UTC 版)
アメリカへの激しい憎悪を抱いており、1989年9月16日に、長崎港に入港した米海軍フリゲート艦のピーター・G・ロバーツ艦長が平和祈念像に献花した花輪を艦長が去った直後に他の数人と共にばらばらになるまで踏み躙り続ける姿がニュース映像として放送され、浦上警察署から事情聴取を受け、9月21日に長崎市内の市民運動家に、器物損壊罪で告発された。しかし黒人で民主党所属のバラク・オバマ大統領のノーベル平和賞受賞決定の際には「アメリカにも変化が出てきた。やっぱり世論がその変化を起こしたんだと思う」と態度を軟化させている。 昭和天皇の戦争責任を主張しているが、長崎国際文化会館時代の1995年に来県した明仁天皇・美智子皇后(いずれも当時)に展示資料を自ら説明した。
※この「原爆投下に対する思想」の解説は、「山口仙二」の解説の一部です。
「原爆投下に対する思想」を含む「山口仙二」の記事については、「山口仙二」の概要を参照ください。
- 原爆投下に対する思想のページへのリンク