原爆慰霊碑の碑文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 22:12 UTC 版)
1971年(昭和46年)、原爆死没者慰霊碑「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」が建立され、銘文として篠枝の歌「太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり」が刻まれた。 この歌は『さんげ』から採取された歌とされるが、初出とされる前述の『不死鳥』には「大き骨は〜あまたの骨」とあることから、「太き骨」ではなく「大き骨」が正しいとの指摘や、「あたま」は「あまた」の誤植とする意見もある。前述の月尾菅子も、「大き骨」との篠枝の自筆があることを根拠として、「太き骨」を誤植と断定している。さらに碑文の原文は篠枝の色紙であり、この色紙は「大き骨」の「大」に何者かが意図的に点を書き加えて「太」と改めたと指摘し、「大き」が正しいとして碑文の訂正を強く求める声もあるが、碑の建立が本人の没後のため、真偽は不明である。なお『さんげ』では「大き骨〜小さきあたま」、『耳鳴り』では「太き骨〜小さきあたま」、三省堂による中学校の教科書『現代の国語』第2巻では「太き骨〜小さき頭」とあり、篠枝の又従兄弟である学習院大学高等科の英語教諭・正田義彰が篠枝に会って『さんげ』を英訳した際は、「big bonrs(大き骨)〜Little skulls(小さき頭)」と訳している。こうしたことが論議を呼び、この碑が有名になるきっかけにもなった。 1997年(平成9年)には、何者かが無断で碑文の「太」の点の部分を削って「大」にするという事件が起きている。
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