打上げと宇宙ステーションの起動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 03:57 UTC 版)
「ソユーズ35号」の記事における「打上げと宇宙ステーションの起動」の解説
ソユーズ35号は、1980年4月9日にレオニード・ポポフとワレリー・リューミンを乗せて打ち上げられた。軌道上のサリュート6号宇宙ステーションとのランデブーが計画されていた。この打上げは、直近に行われた多数の無人宇宙ステーション活動に続いて行われた。無人試験機ソユーズT-1は、3月23日にドッキング解除し、3月25日に軌道離脱するまで、数か月の間、宇宙ステーションとドッキングしていた。無人補給船プログレス8号はその直後3月27日に打ち上げられ、後方ポートとドッキングした。4月2日までに、プログレスを用いてステーションの軌道の修正操作が何度か行われた。 当初は、ワレンティン・レベデフがフライトエンジニアを務める予定であったが、トランポリンの事故で膝を怪我したため、交代となった。バックアップの乗組員に宇宙飛行経験(ソユーズ25号の失敗のため必要となった)を持つ者はおらず、8月に6か月の宇宙滞在を終えたばかりのリューミンがレベデフに代わって再び宇宙に行くか、ミッションを延期するかの選択になった。リューミンの家族はこの一連の出来事によって動揺した。 ソユーズ35号が空いていた前ポートにドッキングすると、乗組員は4月10日に宇宙ステーションに入った。リューミンは、前の乗組員が残したノートを読んだ。彼がそのノートを書いた時には、自分自身がそれを受け取ることになるとは思ってもいなかった。サリュート6号が軌道に入って4年目であり、消耗の兆候がいくつか明らかになりつつあった。リューミンは、移動区画の2つのビューポートが透明でなくなっていることを記録した。また、流星塵や軌道上のデブリのため、窓にも多数のひびが入っていた。乗組員は、姿勢制御装置や生命維持装置の部品を交換し、新しい警報システムを設置し、ステーションの時計をRKAミッションコントロールセンターのものと同期させ、80㎏の蓄電池を追加し、プログレス8号を用いて生命維持装置のタンクに酸素と窒素を満たした。 プログレス8号のミッションは4月15日に完了した。この機体にゴミを詰め、3日後にドッキング解除、軌道離脱した。4月29日にはプログレス9号がドッキングし、翌日に水の補給が終了した。カーゴ内の物資と燃料の移動は、5月12日に完了した。この飛行で、長期滞在乗組員のためのサリュートへの補給は完了した。 その他、軽微な修復作業や、特殊なカビでプラスチック製品を作る実験、軌道上でポリウレタンフォームを用いて構造を作る実験等が行われた。
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