打上げと失敗
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パイオニア0号は、1958年8月17日12時18分00秒(UTC)、計画された打上げ時間のわずか4分後にアメリカ空軍によって第127号ソーミサイルで打ち上げられた。打上げの73.6秒後に、高度16kmでソーの第1ステージの爆発により破壊され、大西洋に落下した。この失敗は、ターボポンプ軸受の欠陥により液体酸素ポンプが停止したのが原因であると考えられている。爆発後の123秒間、ペイロードと上段ステージからエラー信号が受け取られ、上段ステージは海に落下させるために追跡された。当初の計画では、2.6日間かけて月まで飛行し、TX-8-6固体推進モーターで2万9,000kmの月軌道に乗せられ、2週間運用されることになっていた。 これは、アメリカ空軍によって実行される唯一のパイオニア計画のミッションとなり、続くミッションからは、アメリカ航空宇宙局に引き継がれた。
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打上げと失敗
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「プログレスM-12M」の記事における「打上げと失敗」の解説
2011年8月24日13時0分11秒(UTC)、プログレスM-12Mはバイコヌール宇宙基地のガガーリン発射台からソユーズUロケットによって打ち上げられた。 飛行からおよそ325秒後、ソユーズUロケット3段のRD-0110エンジンで故障が検知され、オンボードコンピュータは噴射を中止させた。このため3段目は軌道速度に到達できず、ロシアのアルタイ共和国上空にて再突入し、燃え尽きた。計画では第3段エンジンは離昇287秒後から525秒後まで、238秒間噴射する計画だった。RD-0110エンジンが故障した原因は、テレメトリーを解析した結果、ガスジェネレータに燃料を送る配管に異物が混入して燃料の流量が減少したため緊急自動停止に至ったと報告された。 プログレスM-12Mは1978年から始まるプログレス補給船において初の打上げ失敗となった。なおプログレスM-12Mには30億ルーブル(1億300万米ドル相当)の保険がかけられていた。 この失敗を受けて8月26日に打上げ予定だったソユーズ-2-1b/フレガートロケットによるGLONASS衛星の打ち上げは延期された。 ISSへ向かう唯一の手段であるソユーズ有人宇宙船の打上げに使用されるソユーズFGの3段目もソユーズUと同じRD-0110を使用しており、ロシアが11月までにソユーズの打ち上げを再開できなければISSに滞在している長期滞在クルー全員を地上に降ろし、無人でISSを運用する可能性もあったが、10月30日には次のプログレスM-13Mの打ち上げに成功し、ソユーズTMA-22の打ち上げも1ヶ月半遅れの11月14日に行うことが出来た。 なお興味深いことに、Ekspress-AM4の打上げ失敗(8月18日、ロシアプロトン・ブリーズM)、実践11号04星(8月18日、中国長征2号C)とこの短い期間で3度もロケットの打上げ失敗が続いていた。
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