戦時歌謡・軍国歌謡とは? わかりやすく解説

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戦時歌謡・軍国歌謡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:53 UTC 版)

流行歌」の記事における「戦時歌謡・軍国歌謡」の解説

戦争の影は否応なく流行歌世界にも影を落とし始めた軍歌兵士鼓舞させるために軍隊作ったものや兵士の間で歌われたものをさす。軍国歌謡新聞社レコード会社企画し戦時体制などのプロパガンダ歌い国民戦意高揚図ったのである戦時歌謡は、戦争の時期流行歌軍国歌謡合わせた意味をもつジャンルの名称である。1932年昭和7年)の爆弾三勇士の件を先駆とする。 1936年6月1日国民歌謡」がNHK開始された。人気曲はレコード化されて大ヒットし、「朝」「椰子の実」「春の唄」など今日愛唱されている作品があるが、「愛国の花」・「隣組の唄」「めんこい仔馬」「国民進軍歌」など明らかにプロパガンダ要素の強い作品多かった昭和12年1937年)の「露営の歌」の成功に伴いこのような戦争賛美国威発揚目的とした歌が徐々に増え流行歌音楽世界蚕食始めた。「忘れちゃいやよ」・「裏町人生」などのヒット曲発売禁止になり統制厳しくなった。昭和15年の「皇紀二千六百年記念」による国を挙げた記念事業も、それに拍車をかけ、人気歌手戦地慰問に行くことが多くなった。しかし、開戦前までは上原敏の「上海だより」「声なき凱旋」・近衛八郎の「ああ我が戦友」・音丸の「皇国の母」など兵士望郷の念や戦友への思い留守家族気持ち歌った叙情的な曲も多かった。また塩まさるの「九段の母」のように、一見すると戦時体制讃美する内容であるが実は違う、というギミック入っている歌もあった。これらの戦時歌謡はほとんどの場合、他の流行歌と共通の作詞家・作曲家によって作られたが、勇ましい作風を持つ作曲家選ばれ古関裕而江口夜詩代表格となった一方服部良一のようにモダンな作風作曲家不遇であった軍国歌謡そうでない歌謡に対して決定的に優勢になったのが、昭和16年1941年)の太平洋戦争勃発である。これにより国内戦争一色の状態となり、流行歌戦時歌謡一色となって叙情的な戦時歌謡は「女々しい」と歌唱禁止され、その統制対象明治時代作られ軍歌にまで及ぶこともあった。高峰三枝子の「湖畔の宿」などの抒情歌が「女々しい」と発禁処分になる状況となった流行歌世界に「前線戦い」と「銃後の守り」、そしてプロパガンダを叫ぶ歌ばかりがあふれた昭和18年1943年)頃になると、戦況厳しさ比例して戦時歌謡凄惨な内容のものに変わって行く。「新雪」「高原の月」「勘太郎月夜唄」などがわずかながらも作られた。

※この「戦時歌謡・軍国歌謡」の解説は、「流行歌」の解説の一部です。
「戦時歌謡・軍国歌謡」を含む「流行歌」の記事については、「流行歌」の概要を参照ください。

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