戦地での体験とは? わかりやすく解説

戦地での体験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 14:16 UTC 版)

小島清文」の記事における「戦地での体験」の解説

慶應義塾大学経済学部卒業後、太平洋戦争戦局悪化最中海軍兵科予備学生隊を経て少尉任官した戦艦大和暗号士として暗号電信解読任務についていたが、1944年昭和19年12月ルソン島での陸上勤務命じられた。同島赴任後の翌1945年昭和20年)、戦死した小隊長後任急遽任命され実戦経験皆無、しかも海軍にもかかわらず陸戦最前線投入された。 当時の同島では、日本軍アメリカ軍前に圧倒的に不利の状況にあった小島たちの隊も例外ではなく過酷な特攻何度も命じられた末に敗走強いられ島内彷徨した。島内は兵たちの死体連なり敗残兵たちが物資奪い合って同士討ちをするような悲惨な状態であった小島たちも次第物資体力消耗し敗走の道も敵軍断たれ餓死を待つばかりとなった消耗激しいことから足手まといならないよう、自決する兵すらいた。 2か月間にわたる彷徨の末、小島はついに投降決断した。後の自著において小島投降決断理由を、部下の命を救うことが目的述べており、また、かつて暗号士として極秘情報扱っていたために日本敗戦必至理解していたこと、本来は投降者は軍法会議かけられるが、日本敗戦すれば軍法会議もなくなると見ていたとも述べている。また、小島学生時代アメリカのことをよく学んでいたため、「鬼畜米英のような悪感情がなかったこと、学校でも教師盲従するような優等生ではなかったこと、父が自由主義であったために国家絶対視していなかったこと、自分たちに理不尽な命令を下す上官たちへの不信なども投降理由として分析されている。 こうした小島決意は、前述のように戦陣訓絶対視された日本軍においては異端であったそれまで小島に従っていた兵たちの多くは、投降よりむしろ自決の道を選んだが、数名の兵たちは小島信じて彼に同行1945年4月13日小島たちは白旗掲げてアメリカ軍投降したアメリカ軍捕虜となった小島は、捕虜収容所責任者であるアメリカ軍情報将校オーテス・ケーリ中尉出逢い彼の勧め終戦促進運動参加した戦争の長期化による犠牲者増加を防ぐべく、収容所内でアメリカから日本へ投降勧告翻訳投稿勧告ビラの製作などを行なった。しかしその後小島意思反して戦争は4か月間も続いた

※この「戦地での体験」の解説は、「小島清文」の解説の一部です。
「戦地での体験」を含む「小島清文」の記事については、「小島清文」の概要を参照ください。

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