兵科予備学生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 06:03 UTC 版)
第1期:昭和17年1月採用(400名)服部正也 山縣有信 第2期:昭和17年9月採用(482名)阿川弘之:東京帝国大学繰り上げ卒業、兵科予備学生第2期生として入隊し、軍令部特務斑にて対華諜報担当(少尉)、ポツダム大尉で復員。 安川定男 第3期:昭和18年9月採用(3,626名)島尾敏雄:九州帝国大学繰り上げ卒業、志願にて兵科予備学生第3期生として入隊し、第18震洋特別攻撃隊艇隊長として奄美群島加計呂麻島に配置、ポツダム大尉で復員。 松林宗恵:兵科予備学生第3期生として入隊し、廈門島守備隊長となった。ポツダム中尉で復員。 第4期:昭和18年12月採用(3,270名) いわゆる「学徒出陣」として採用された期。第1~3期まで及び第5~6期は、准士官の身分を持つ予備学生として採用されたが、本期だけは陸軍の要請で陸軍並び(陸軍は見習士官も二等兵で入隊し、順次昇進する仕組み)に二等水兵として採用され、約50日間二等水兵として服務した。 田英夫:東京帝国大学在学中に学徒出陣、海軍兵科第4期予備学生として入隊し、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として八丈島に配置、ポツダム中尉で復員。 吉田満:兵科予備学生第4期生として入隊し、 戦艦大和に乗組。ポツダム中尉で復員。 庄野潤三:兵科予備学生第4期生として入隊し、ポツダム大尉で復員。 野原一夫:東京帝国大学在学中に学徒出陣、武山海兵団、第4期兵科予備学生を経て、海軍少尉として大和田通信隊に着任。鹿屋基地第5航空艦隊司令部付で終戦。 大久保房男:慶應義塾大学在学中に学徒出陣。 阿部日顕:第4期兵科予備学生として入隊し、大湊海兵団に配属。 第5期:昭和19年8月採用(2,532名) 第6期:昭和20年4月採用(2,695名)
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