兵科別ソ連軍戦車撃破割合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
「ノモンハン事件」の記事における「兵科別ソ連軍戦車撃破割合」の解説
日本軍兵科(攻撃手段)撃破割合速射砲 75% - 80% 野砲 15% - 20% 歩兵(火炎瓶) 5% - 10% 航空機 2% - 3% 工兵(地雷・手榴弾) 2% - 3% 日本軍の対戦車戦闘の主力となったのは速射砲と野砲の火砲であり、割合で見ると90% - 95%のソ連軍装甲車輌は日本軍の火砲により撃破されている。日本軍の主力対戦車兵器となった九四式三十七粍砲は、最長1,000 mでもソ連軍戦車の装甲を貫通することができた。速射砲が命中すると、戦車はほぼ全て炎上し、あたかも木造家屋のようによく燃えた。それで15分後には弾薬の誘爆が始まり、爆発後の戦車は回収しても屑鉄以外の使い道がなかった。 ノモンハン戦で強い印象を残した火炎瓶攻撃は、印象に対してその成果は大きいものではなく、5% - 10%の装甲車輌を撃破したに過ぎない。しかし、うまく戦車を火に包むことができれば、修復不可能な程の損傷を与えることは十分可能であった。 ソ連軍は各戦車中隊ごとに戦車の修理を監督する技術担当士官を配置し、技術士官には修理対象の損傷戦車を牽引するトラクターと、技術士官自身が搭乗するための戦車が宛がわれたが、その戦車やトラクターが日本軍速射砲の餌食となることも多かった。日本軍は撃破や擱座させた戦車をソ連軍が回収・修理できないように火炎瓶などで全焼させた。一方のソ連軍も全焼し修復の目途の立たない戦車は穴を掘って埋めていた。埋めた理由というのは、日本軍は撃破された戦車に狙撃兵を忍ばせ、回収するために近づいてきた技術士官やソ連将校を狙撃したり、時には速射砲や機関砲を備え付けた即席陣地とし、防御の拠点にすることも多く、日本軍に再利用させないためであった。 ソ連軍で最も損害の大きかった部隊は第11戦車旅団であった。緒戦からBT-5で戦闘に参加して大きな損害を出し、7月23日 - 8月28日の間にBT-7を155輌供給されていた。8月20日にはBT-5やBT-7など154輌で戦闘に参加、しかし続発する損害や故障に修理や補給が追いつかず、30日には稼働38輌・死傷者349名と、再び壊滅状態に陥っている。 戦後、ノモンハン従軍の元日本兵にNHKが番組取材で収録した記録によると、ソ連戦車には乗員ハッチ外側から南京錠による施錠がなされていたとの証言がある。逃亡を防ぐ目的および督戦のための処置ではないかとの証言であった。ハッチが外側から施錠されているため戦車が撃破された場合乗員は脱出できず、脱出していれば助かったであろう命が失われたことになる。)
※この「兵科別ソ連軍戦車撃破割合」の解説は、「ノモンハン事件」の解説の一部です。
「兵科別ソ連軍戦車撃破割合」を含む「ノモンハン事件」の記事については、「ノモンハン事件」の概要を参照ください。
- 兵科別ソ連軍戦車撃破割合のページへのリンク