兵科の下士官とは? わかりやすく解説

兵科の下士官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:14 UTC 版)

下士官」の記事における「兵科の下士官」の解説

1877年10月10日改正陸軍武官官等表によると、工長等を除く兵科下士当時は「下士官ではなく下士」と呼称されていた)は、曹長一等曹長二等軍曹一等軍曹二等伍長一等伍長二等6階級に分類されていた。その後伍長官名廃止されると共に区分簡略化されて、曹長判任官二等)、一等軍曹判任官三等)、二等軍曹判任官四等)の3階級とされた。1899年12月1日に、「伍長」の名称を復活させ、旧「一等軍曹」を「軍曹」と、旧「二等軍曹」を「伍長」とそれぞれ改称した1874年10月31日当時常備兵満員場合部隊下士総員は約6,484名とされていた。また、この当時下士服役期限7年であったこの頃陸軍教導団下士養成担った1927年7月から1943年8月まで陸軍教導学校仙台豊橋熊本設置され歩兵科下士官養成が行われた。下士官候補者は、一年間在営後に入学し一年間修学期間を経て卒業後に下士官となった豊橋教導学校では、1933年8月から1939年8月まで騎兵砲兵科下士官候補者教育実施した二等卒1931年11月より二等兵改称)として入営徴兵または志願)した場合一等卒1931年11月より一等兵改称)までは自動的に進級するが、上等兵以上は選抜によって進級する判任官たる伍長以上になると勤続年数20年以上に及んだ場合叙位叙勲栄誉を受ける機会もあり、また1904年3月2日には、下士官として6年以上勤続し、かつ勤務成績優良なる者に対して下士官勤功章などの表彰記章授与された。 下士官たる軍曹は、内務班長(陸上自衛隊営内班に相当する)を命ぜられることが多く、そのため兵卒から下士官呼びかける際に「班長」と呼称することが多かった。これを第二次世界大戦中進駐後日本朝鮮動乱中の韓国軍との共同行動中などに見聞したアメリカ兵によって、honcho班長転じてリーダーシップ発揮する責任者の意)の語が英語に流入することになった士官候補生は、一般兵卒と同じ階級指定され、兵の最先任として先ず上等兵を命ぜられ、伍長軍曹順次定期進級し見習士官たる曹長経て少尉任官されることとなっていた。 なお、朝鮮軍人たる下士官は、旧韓国軍時代階級名そのまま保持し陸軍○○特務正校(特務曹長相当)、陸軍○○正校(曹長相当)、陸軍○○副校(軍曹相当)、陸軍○○参校伍長相当)という階級名用いられる韓国軍では「大・中・少」ではなく正・副・参」の順序用いられ、また「校」が下士官表していた(朝鮮軍人参照)。

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