戦地の軍令憲兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 16:49 UTC 版)
中国大陸には北支那派遣憲兵隊司令部・中支那派遣憲兵隊司令部と南支那派遣憲兵隊、開封・漢口・九江・杭州・済南・徐州・上海・青島・石門・蘇州・蘇北・太原・張家口・鄭州・天津・南京・北京の各憲兵隊があった。この内、漢口憲兵隊は1945年(昭和20年)7月26日に第16方面軍憲兵隊への改編が決まっていたが、編成完結前に終戦となった。 北支那派遣憲兵隊司令官は、隷下憲兵隊とは別個に設置された北支那特別警備隊の司令官を兼ねた。北支那派遣特別警備隊は1943年(昭和18年)8月24日の軍令陸甲第81号によって設置され、唐山に司令部を置き10個大隊と1個教育隊で構成され特殊秘密作戦に従事した。秘密作戦という性格からか戦死率が高く、終戦までに800名を越す戦死者を出し大隊長1名と中隊長3名を失っている。 この他、フィリピン・スマトラ等南方方面憲兵隊の任地域と上級部隊は下表の通り。 担任地域 憲兵隊名称 上級部隊 フィリピン 第14方面軍憲兵隊 第14方面軍 スマトラ 第25軍憲兵隊 第25軍 マレー 第29軍憲兵隊 第29軍 蘭印 第16軍憲兵隊 第16軍 ビルマ 緬甸方面軍憲兵隊 緬甸方面軍 セラム島 第5野戦憲兵隊 第19軍 ラバウル 第6野戦憲兵隊 第8方面軍 ハルマヘラ 第8野戦憲兵隊 第2方面軍 ソロン 第10野戦憲兵隊 第2軍 仏印 南方軍第1憲兵隊 南方軍 タイ 南方軍第2憲兵隊 南方軍 ボルネオ 第37軍憲兵隊 第37軍 終戦時の憲兵兵力は国内外の合計でおよそ36,000人であった。
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