感染者減少の複合要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:54 UTC 版)
「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事における「感染者減少の複合要因」の解説
保卵者数は最盛期であった1944年(昭和19年)の6,590人をピークに減少に転じ、1960年代から1970年代初頭にかけ急激に減少した。これにはコンクリート化と新薬による殺貝だけでなく、いくつかの複合的な要因が考えられている。 ただしそれらの要因は、地方病対策だけのために意図的に行われたものではない。高度経済成長期における日本のさまざまな生活環境の激変や都市化が殺貝剤散布や水路のコンクリート化などと相乗効果となり、結果として日本住血吸虫の撲滅へ寄与したと考えられている。 第1の要因として、戦後の甲府盆地における産業転換に伴う土地利用の変化が挙げられる。古くから稲作が中心であった甲府盆地中西部の農業形態は、モモやサクランボ、ブドウなどの果樹栽培へ転換され、長期間にわたって水を張った状態を必要とする水田が減り、ミヤイリガイの生息地を結果的に狭め追いやった。これは有病地の特に釜無川右岸地域一帯と甲府市東部から旧石和町南部にかけての一帯で顕著であった。甲府盆地中央部においても高度経済成長に伴う宅地開発(県営玉川団地(北緯35度37分57.2秒 東経138度31分53.8秒 / 北緯35.632556度 東経138.531611度 / 35.632556; 138.531611 (県営玉川団地))、甲府リバーサイドタウン(北緯35度36分36.4秒 東経138度30分40.8秒 / 北緯35.610111度 東経138.511333度 / 35.610111; 138.511333 (甲府リバーサイドタウン))等)や、大規模な工業団地(国母工業団地(北緯35度37分3.5秒 東経138度33分6.6秒 / 北緯35.617639度 東経138.551833度 / 35.617639; 138.551833 (国母工業団地))、釜無工業団地(北緯35度37分35.8秒 東経138度31分5.9秒 / 北緯35.626611度 東経138.518306度 / 35.626611; 138.518306 (釜無工業団地))等)の造成により次々に水田は姿を消していった。 第2の要因として、農耕の機械化が挙げられる。水田が減ったことに加えて機械化が進んだことにより、農作業用の家畜はほとんど姿を消し、ウシなどの感染家畜の糞便に含まれる虫卵が激減した。肥料に関しても、堆肥などの自給肥料から化学肥料などのいわゆる金肥に転換され、虫卵が感染源となることが物理的に回避されるようになった。 第3の要因として、一般家庭で使用されていた合成洗剤の排水によるセルカリアへの殺傷効果が挙げられる。昭和40年代当時はまだ合成洗剤の規制や制限が行政から指導されておらず、また下水道の普及も遅れていた甲府盆地では、合成洗剤を含んだ排水はいわば垂れ流し状態であった。本来であれば非難される垂れ流しも、こと日本住血吸虫に対しては怪我の功名ともいえる。実際に、久留米大学教授の塘普(つつみひろし)が1982年(昭和57年)に行った実験によると、一般家庭で使われる濃度0.14-0.25%の合成洗剤溶液にセルカリアを投じると5分以内に全て死滅し、さらに溶液を100倍に薄め同様に試しても、セルカリアは24時間以内に全て死滅することが実証されている。
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