恣意性、混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 08:07 UTC 版)
分類というのは、何らかの基準を人間が設定し、その基準に基づいてカテゴリ(グループの「枠」)を複数つくり、個々のものごとをいずれかのカテゴリ枠の中に入れてゆくことである。基準は人間が設定するので、その意味では「恣意的」である(つまり、その基準自体が絶対ではなく、他の基準も設定しうる)。別の基準を設定したり採用したりすれば、異なる分類をすることもできる。その意味で、分類という行為には常に恣意性がつきまとう。 たとえば航空機の分類で、重量(密度)が空気より軽い軽航空機と、空気より重い重航空機の2つに大別されているが、他に翼の数に基づいて「単葉機 / 複葉機」と分類する方法もあり、またエンジンの種類を基準にして「ピストン機(レシプロ機)/ ターボ機」と分類する方法もある。いずれも選べるのに、ある人がエンジンによる分類だけを採用して他を無視すれば、それはその人が恣意的に選んだということであって、恣意性があるということになる。たとえ数を基準とした分類(「単葉機 / 複葉機」)を選んでも、それだけを選べば、やはりそれを採用して他の分類法を捨てたということで、恣意性を持っている。 おまけに、カテゴリの設定方法によっては、カテゴリとカテゴリの間に明確な《線引き》ができないことも生じる。たとえば「大型・中型・小型」は、分類基準を設定する組織や個人ごとに、線引きが異なっていて混乱していることも多い。たとえば何メートル以上何メートル以下を(あるいは何kg以上何kg以下を)「中型」と言うか、国際機関、特定の国の政府、民間企業の団体などによって数値にズレが生じてしまっていることもある。 「古代・中世・近世・近代・現代」「管楽器・弦楽器・打楽器 ... 」などといった分類も、学者ごとに境界線が異なっていて、学問上も混乱していることがあり、学派ごとに異なっていることがあり、その意味でも恣意性がつきまとう。 さらに難しい問題もある。たとえば「科学 / 疑似科学」という分類についても、長年にわたって科学者や科学哲学者らから多数の基準(線引きの方法)が提案されていて、長い議論が続いたが、すっきりと決着がつかないままになってしまっている。これを「線引き問題」と言う。両者の間には、白黒がはっきりつけられない領域(グレーゾーン)がある、そのグレーゾーンというのが、「真っ白」付近から「真っ黒」付近に至るまでの、スペクトラムのように 白→黒 と連続的に変化する領域である、と指摘している研究者もおり、また「曖昧なシャドーゾーンが存在する」と指摘する科学者もおり、その結果、まともな科学者でも、いざ実際にさまざまな研究を分類しようとする段になると悩んでしまうのである。おまけに、境界科学や未科学というものもあり、それらとの線引き(境界線)も曖昧で、世の中のさまざまな研究を全て分類しようと試みたりすると、(まともな科学者でも)一体どのカテゴリに分類したらよいか判らなくなってしまうことが出てくるわけである。
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