心理学における生得主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 14:30 UTC 版)
ウィリアム・ジェームズは多くの人間の行動を本能と言う語で説明した。『心理学原理』では次のように述べた。「嬉しいとき我々はなぜ睨まずにほほえむのか?なぜ一人の友人と話すのと同じように群衆と話せないのか?なぜ若い女性は我々の心を揺さぶるのか?......それで、おそらく動物は特定の状況に直面したとき特定のことに向かう感覚がある」。これは精神分析の「無意識」に影響を与え、現代では認知科学によって再び光が当てられている。フランツ・ボアズは「証拠が見つかるまでは人間の行動に生得的な基盤はないと仮定すべきである」と主張したが、彼の弟子たちは「人間の行動に生得的な基盤はない」と言い換えた。 生得論とは非常に広い立場に対して用いられる語である。生まれたばかりの脳は空白の石版であり、どの方向にもどのような傾向も備わっていないと考えるのがタブラ・ラーサである。経験主義心理学以外に社会構成主義、極端な行動主義、構造主義哲学などが支持している。その対極には遺伝子決定論がある。この位置には実質的に誰もいない(例えば『遺伝的天才』を著したフランシス・ゴルトンも教育に意義を認めた)が、部分的には特定の遺伝子や神経構造と行動の関連を調べている神経科学者や神経行動学者が相当する。広義にはタブラ・ラーサを除いたあらゆる位置を生得論と呼ぶことができる。この広い意味の生得論者は人間の心、精神、行動の理解のために生物学的基盤の理解が必要だと考えている点で共通している。生得論は批判的な文脈ではしばしば遺伝子決定論と混同されるが、区別が必要である。またどの心的機能の生得性を論じているのかを区別する必要がある。 スティーブン・ピンカーは認知革命がタブラ・ラーサを否定したと考えている。認知科学者は一般的にタブラ・ラーサを受け入れていない。その意味では生得論者であるが、どの脳機能にどの程度の生得性を認めるかでは議論がある。脳が無限の可能性を秘めていないことを指して生得的制約と呼ばれる。したがって(特に認知言語学では)生得的制約とはどのようなものかに関する議論が行われている。コネクショニズムはタブラ・ラーサに非常に近い位置にいる。彼らはしばしば他の立場を生得論者と呼んで批判するが、そのうちの一人ジェフリー・エルマンも自身の立場をタブラ・ラーサと同一視されることを拒否した。 心的機能の生得性の証拠として挙げられるのは以下のモジュール性、どの言語でも見られる言語獲得過程の類似性、学習バイアス(甘い物はすぐ好むようになるが苦い物を好むようになるには時間がかかる、など)の存在、および現代的な進化理論との合致である。例えば互恵的利他主義は人間の感情システムがどのように進化したかを説明可能であり、他の生物でも高い社会性を持っていれば道徳的な振る舞いが観察されると予測できる。道徳的と見なせる行動(例えば裏切り者への罰や報復、恩者への返報)はチスイコウモリやチンパンジーなどで観察されている。
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