德大寺公弘とは? わかりやすく解説

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徳大寺公弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 05:23 UTC 版)

徳大寺公弘

徳大寺 公弘(とくだいじ きんひろ[1]旧字体德大寺 公󠄁弘1863年9月26日文久3年8月14日[1]) - 1937年昭和12年)1月4日[1])は、明治から昭和期の華族正二位[2]貴族院公爵議員

経歴

山城国京都徳大寺実則の長男として生まれる[1][3]1885年(明治18年)外務省御用掛となり、さらに明宮(大正天皇)勤務となった[2][3]1887年(明治20年)イギリスに留学[2]。父歿後、1919年(大正8年)6月30日に公爵の爵位を襲爵し[4]、貴族院公爵議員に就任[5]火曜会に属して活動し、死去するまで在任した。

徳大寺家の屋敷は千駄ヶ谷にあったが、取巻達に翻弄されて手放さざるを得ず、神奈川県茅ヶ崎市へ転居した[6]。 1937年(昭和12年)1月4日薨去。享年75歳。墓所は父と同じく多磨霊園である[7]

親族

系譜

東山天皇男系八世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。

脚注

  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』下巻、174-175頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』10頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第10版 下、ト37-38頁。
  4. ^ 『官報』第2072号、大正8年7月2日。
  5. ^ 『官報』第2073号、大正8年7月3日。
  6. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、251頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  7. ^ 徳大寺公弘”. www6.plala.or.jp. 2024年12月5日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第10版 下、1934年。
日本の爵位
先代
徳大寺実則
公爵
徳大寺家第2代
1919年 - 1937年
次代
徳大寺実厚



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