徳大寺実憲
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徳大寺 実憲(とくだいじ さねのり、正徳4年1月18日(1714年3月4日) - 元文5年7月16日(1740年8月8日))は、江戸時代中期の公卿。主に中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)の二帝にわたって仕え、官位は正二位権大納言まで進んだ。父は内大臣徳大寺公全。母は太政大臣近衛家熙の娘。妻は大洲藩主加藤泰恒の娘。子に権大納言徳大寺公城がいる。
享保3年(1718年)に叙爵して以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従や左近衛中将を経て、享保9年(1724年)従三位となり、公卿に列する。享保13年(1728年)には権中納言となる。また同年昭仁親王(桜町天皇)の立太子に伴い、その春宮権大夫となる。享保16年(1731年)には権大納言、また正式な春宮大夫となった。享保20年(1735年)皇太子の即位に伴い、春宮大夫を辞職した。元文3年(1738年)に正二位へ昇進するも、元文5年(1740年)に病に罹り、朝廷への出仕を憚かるようになり、同年のうちに薨去した。享年27。
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