徳大寺実憲とは? わかりやすく解説

徳大寺実憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 06:45 UTC 版)

 
徳大寺実憲
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年1月18日1714年3月4日
死没 元文5年7月16日1740年8月8日
別名 金剛心院
官位 正二位権大納言
主君 中御門天皇桜町天皇
氏族 徳大寺家
父母 父:徳大寺公全、母:家女房
兄弟 実憲阿部正直
加藤泰恒の娘
公城
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徳大寺 実憲(とくだいじ さねのり)は、江戸時代中期の公卿。官位は正二位権大納言

経歴

享保3年(1718年)に叙爵して以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛中将を経て、享保9年(1724年従三位となり、公卿に列する。享保13年(1728年)には権中納言となる。また同年昭仁親王(桜町天皇)の立太子に伴い、その春宮権大夫となる。享保16年(1731年)には権大納言、また正式な春宮大夫となった。享保20年(1735年皇太子の即位に伴い、春宮大夫を辞職した。元文3年(1738年)に正二位へ昇進するも、元文5年(1740年)に病に罹り、朝廷への出仕を憚かるようになり、同年のうちに薨去した。享年27。

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