徳大寺実守とは? わかりやすく解説

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徳大寺実守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 05:30 UTC 版)

 
徳大寺 実守
時代 平安時代後期
生誕 久安3年(1147年
死没 元暦2年4月25日1185年5月26日
官位 従二位権中納言
主君 後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族 藤原北家閑院流徳大寺家
父母 父:徳大寺公能、母:藤原豪子(藤原俊忠の娘)
兄弟 忻子、坊門殿、実定多子、実全、実家実守、公衡、公慶、実宴、実任、実印、実快、藤原師長室、藤原通重室、藤原邦綱室、源資賢
源雅通の娘
道守、守通、女子
養子:公衡(実弟)
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徳大寺 実守 (とくだいじ さねもり)は、平安時代後期の公卿藤原北家閑院流徳大寺家右大臣徳大寺公能の三男。官位従二位権中納言

経歴

後白河朝保元2年(1157年叙爵美作守皇后宮権亮春宮権亮蔵人頭を経て、嘉応2年(1170年参議に任ぜられ、公卿に列する。嘉応3年(1171年従三位承安3年(1173年正三位と昇進を続け、養和2年(1182年権中納言従二位寿永2年(1183年左兵衛督を歴任するも、元暦元年(1184年)にすべての職を辞する。翌元暦2年(1185年)薨去、享年39。死因は脚気とされる[1]

官歴

公卿補任』による

系譜

尊卑分脈』による

  • 父:徳大寺公能
  • 母:藤原豪子 - 藤原俊忠の娘
  • 妻:源雅通の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原道守
    • 男子:藤原守通
    • 女子:
  • 養子:徳大寺公衡 - 実弟

脚注

  1. ^ 公卿補任



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