土御門晴親とは? わかりやすく解説

土御門晴親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 02:25 UTC 版)

 
土御門 晴親
時代 江戸時代後期
生誕 天明7年12月8日1788年1月15日
死没 天保13年6月28日1842年8月4日
墓所 京都市下京区梅小路梅林寺
官位 正二位陰陽頭
主君 光格天皇仁孝天皇
氏族 土御門家
父母

父:土御門泰栄

母:静心院
兄弟 泰胤、晴親、水無瀬有成室
晴雄藤子
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土御門 晴親(つちみかど はれちか)は、江戸時代後期の公卿陰陽師治部卿土御門泰栄の子。官位正二位・非参議・陰陽頭家禄は183石6斗。

経歴

天明7年12月8日(1788年1月15日)(寛政元年12月8日(1790年1月22日)とも)、土御門泰栄と家女房・静心院との間に二男として誕生。寛政10年(1798年)叙従五位下。その翌年に元服、右兵衛権佐に任ぜられる。享和2年(1802年)叙従五位上文化元年(1805年)に陰陽頭に任ぜられる。文政3年(1820年12月21日従三位。天保13年(1842年)に陰陽頭を辞任。同日、叙正二位

同年6月28日(1842年8月4日)57歳で薨去(同年6月16日(1842年7月23日)54歳で薨去とも)。法号は恭謙院殿正二位安倍朝臣晴親卿。墓所は京都市下京区梅小路梅林寺

柴田鳩翁に入門して心学を深く修行し、一時は明倫舎にも在住していた。

系譜


土御門 晴親(つちみかど はるちか)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 00:15 UTC 版)

出会ってひと突きで絶頂除霊!」の記事における「土御門 晴親(つちみかど はるちか)」の解説

九の旧家一つはじまりの土御門現当主。十二天の一人

※この「土御門 晴親(つちみかど はるちか)」の解説は、「出会ってひと突きで絶頂除霊!」の解説の一部です。
「土御門 晴親(つちみかど はるちか)」を含む「出会ってひと突きで絶頂除霊!」の記事については、「出会ってひと突きで絶頂除霊!」の概要を参照ください。

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