広陵・大連実業とは? わかりやすく解説

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広陵・大連実業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 10:27 UTC 版)

田部武雄」の記事における「広陵・大連実業」の解説

袋町小学校高等科経て1920年旧制広陵中学(現・広陵高校)に入学するが、1年退学理由先の次兄謙二この頃亡くなり広島市内から田部係累全部消え長兄真一、三兄・正三をたより満州渡った或いは学校あげての野球部満州遠征メンバー加えられなかった不満から、他に天才的素質好意寄せた大連実業実力者迎えられたなどの説がある。菊池清麿複雑な家庭環境よるものではと推察している。このため16歳単身満州奉天渡りサラリーマンしながら1924年大連実業団(以下、大連実業) に参加し野球続ける。六大学出身花形選手揃っていた当時大連実業レギュラーポジションを掴む。田部谷口五郎岩瀬五郎)、山本栄一郎らの大連実業中澤不二雄主将だった満州倶楽部 との戦い"実満戦"は"大連早慶戦"と呼ばれた勤務先満州営口実業団の後、東銭荘就職した戦前20年間を大連暮らした清岡卓行は、田部大ファンで、田部目当て試合練習を度々見に行った著書大連港で』に書いているが、1924年当時田部勤務先銭荘両替所)だったと書いている。芥川賞受賞作『アカシヤの大連』でも田部についてふれられている。 1926年秋に大連実業の1番二塁手として内地転戦1927年大連実業明治大学OB中島監督小西得郎から、明治への進学勧められ帰国し広陵中学四年に復学復学短期間転入かは不明当時広陵から多くOB明大野球部進んでいた。広陵学籍簿には「中学四年生として編入試験合格」「1927年4月2日復学と書かれているため、大道文田村大五)は「退学したときの学年」に正直に戻り当時中学5年修了期限であったが、四年修了同時に大学進学することも可能だったため、大学へ行く資格を取るために編入したのだろうと推理している。この頃春の選抜大会には年齢学年とも制限無かったため、この年21歳にして甲子園出場この前年度初優勝して「野球王国広島の礎を築いた広陵 は、八十川胖(のち明大八十川ボーク事件で有名)、小川年安慶大阪神)、山城健三通称ベーブ山城立大)、三浦芳郎(明大)、中尾長明大セネタース)らを揃えて広陵野球部史上最強チームと言われ春連覇狙い田部エース3番として勝ち進み決勝までいくが、快速球左腕小川正太郎和歌山中学和中)の前に敗れた。この大会決勝まで打ちまくり、走りまくりで決勝クタクタピッチング本調子ではなかった。この年優勝チームアメリカ遠征褒美付いていたが叶わず、「オレは、それだけ目的だった」と身を震わせて残念がっていたという。しかし大投手小川から7回裏に公式戦初めての被本塁打ランニングホームラン)を浴びせている。同年夏の選手権は「他チームでの在籍1年のみ」という制限引っ掛かり田部出場できなかった(代わってエースとなった八十川2回戦、対敦賀商業戦で史上2人目のノーヒットノーラン達成するなどして勝ち進むが、またしても決勝水原茂らのいた高松商業敗れた)。 この1927年田部動き分かりにくい。夏選手権が終わるとまた広陵中を退学し大連実業復帰したと書かれた文献もあるが、清岡卓行著『大連港で』は、この年第1回全日本都市対抗野球大会満州代表を決める"実満戦"があり、田部はこの実満戦に遊撃手または二塁手として3番や1番を打ったが、一勝二敗と不覚をとり第1回都市対抗には出場出来なかったとある。実満戦は年に一度初夏行われた定期戦のため、これだと田部広陵で春選抜出場の後、また大連実業戻ったことになり、広陵在籍はごく短い期間だった可能性がある。

※この「広陵・大連実業」の解説は、「田部武雄」の解説の一部です。
「広陵・大連実業」を含む「田部武雄」の記事については、「田部武雄」の概要を参照ください。

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