幕末・明治初期:男色文化衰退、地方レベルではなく全国で初の違法化(一時的)
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「日本における同性愛」の記事における「幕末・明治初期:男色文化衰退、地方レベルではなく全国で初の違法化(一時的)」の解説
元治元年(1864年)5月20日の近藤勇の書簡には新選組局内で「しきりに男色が流行している」と記され、隅田川では若衆を侍らせた船遊びをする光景が明治維新直前にもみられた。明治初期は薩摩藩(現在の鹿児島県)出身者の男色の習慣が有名で、記録が多く残っている。しかし同時に明治維新の辺りから文明開化の影響もあり、同性愛をソドミーとして罪悪視していた西洋キリスト教社会の価値観や、同性愛を異常性愛に分類した西欧の近代精神分析学が流入したことにより、急速に異端視されるような状況となった。ゲイリー・P・リュープによると、鎖国時代まで日常的に堂々と行われていた日本の男色文化が、開国時に続々とやって来た西洋人たちの非難に晒されたことで、当時の指導者たちが不道徳なものへと変えていったという。ミッション系の東京女子大学初代学長にもなった新渡戸稲造は、男色について「野蛮で暴力的な行為であり、精神修養により抑えなければいけない」と説いた。ジェームス・カーティス・ヘボンが編集し、1894年に出版された『改正増補和英英和語林集成(第5版)』には、「NANSHOKU(男色)」、「WAKASHU(若衆)」、「RENDŌ(孌童)」、「KAWATSURUMI(カハツルミ)」、「NENJA(念者)」、「KAGEMA(男娼)」など、同性愛関連の語彙が多く収録されているが、語義の説明には総じて「sodomy」「sodomists」という語が用いられている。幕末から急激に衰退していった背景には遊郭など高嶺の花だった女性の売春が娼婦など手軽になったことや農村部に比べて男性に対して少なかった都市部の女性人口比率改善により、女性と性的行為が出来なかったために機会的同性愛をしていた男性が男色をする必要がなくなったからとの意見がある。
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