幕末、明治から現在までの動向
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「室町家」の記事における「幕末、明治から現在までの動向」の解説
幕末、明治維新期の公賀は、国事に奔走し維新後は、越後府知事、三等陸軍少将、宮内権大丞、雅楽助を務めた。公康が家名を四辻から室町に改める。明治17年(1884年)公康に対して、伯爵位を授けられた。公大(きんもと)は、貴族院議員を務めた。公藤(きんふじ)は昭和34年(1959年)掌典長に就任し、宮中祭祀に尽力した。
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幕末、明治から現在までの動向
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「橋本家」の記事における「幕末、明治から現在までの動向」の解説
幕末の実麗(さねあきら)は、国事に尽力。実麗の妹、経子(つねこ、観行院)は、仁孝天皇に典侍として仕え、14代将軍徳川家茂に降嫁した和宮親子内親王の生母となった。和宮は、仁孝天皇崩御後は、橋本家で養育された。 実麗の養子実梁(さねやな)は、戊辰戦争で東征軍の東海道鎮撫総督を務め、江戸城開城の際に勅使として江戸城に入城し、徳川慶喜の死一等を減じる代わりに慶喜の水戸藩での謹慎を命じる朝命を徳川慶頼に申し渡した。 維新後は華族に列し、明治17年7月7日に華族令が発布されると伯爵位を授けられた。 実梁の孫実斐(さねあや)は、貴族院議員、内務参与官、文部政務次官を歴任した。
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