市民憲章
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三島市民憲章 わたくしたちは、箱根のふもと朝に夕に富士を仰ぐ恵まれた自然のなかに育った三島市民です わたくしたちは、三島市民であることに誇りと責任をもち、お互いのしあわせを願い、この憲章を定めます。 わたくしたち三島市民は、 # 自然を愛し きれいなまちをつくりましょう。 # 良い風習を育て 住みよいまちをつくりましょう。 # 文化をたいせつにし 豊かなまちをつくりましょう。 # からだをきたえ 仕事にはげみ 明るいまちをつくりましょう。 # 平和を望み 友愛のあふれるまちをつくりましょう。 市章 市章は八角形の三嶋大社の紋章と富士山を組合わせ、また中央の三線は漢数字の「三」と水の流れを組合わせて図案化した物。
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市民憲章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 15:51 UTC 版)
焼津市民憲章 私たちは、秀麗な富士と駿河湾をのぞみ、豊かな志太平野の自然の中で育った焼津市民であることに誇りをもち、先人によって築かれてきた貴重な歴史をふりかえりつつ、希望に満ちた、魅力あるまちを創るために、この憲章を定めます。 豊かな自然を愛し、平和で住みよいまちをつくります。 地域の資源を活かし、潤いと活力のあるまちをつくります。 子どもたちが健やかに育つ、明るいまちをつくります。 スポーツと文化に親しみ、心やすらぐまちをつくります。 互いに支え合い、安心・安全なまちをつくります。
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市民憲章
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河内長野市民憲章は、1967年(昭和42年)11月3日に制定されている。 金剛、葛城、岩湧とつらなる山山にかこまれた河内長野市は、清らかな山河と、澄み切った大気のなかで、貴重な文化財を伝えてきたゆかしいまちであり、また、進取と不屈の精神をもって、新しい都市を建設しつつある、力強くたくましいまちです。わたしたちは、このまちの市民であることに誇りをもち、心あわせて、さらに美しく住みよいまちにするため、ここに、この市民憲章を定めました。 わたしたちは、恵まれた自然を愛しましょう わたしたちは、豊かな文化財に学びましょう わたしたちは、生産することの価値をたたえましょう わたしたちは、新しい世代に役だつ人となりましょう わたしたちは、人人との交わりを大切にしましょう
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市民憲章
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桐生市市民憲章 わたくしたちは、美しい山々と、 清らかな流れにつつまれた、わたくしたちのまち桐生を、 より明るく豊かにするために、この市民憲章を定めます。一、わたくしたちは、伝統を尊び、自然を愛して、美しい桐生をつくりましょう。 一、わたくしたちは、互いに助け合い、きまりを守って、明るい桐生をつくりましょう。 一、わたくしたちは、健康を保ち、楽しい家庭を築いて、平和な桐生をつくりましょう。 一、わたくしたちは、教養を高め、理想を掲げて、文化のかおり高い桐生をつくりましょう。 一、わたくしたちは、織都を誇り、近代産業を伸ばして、活気ある桐生をつくりましょう。 — 昭和40年11月3日制定
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市民憲章
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1974年(昭和49年)5月3日制定 私たちは、古い歴史と輝かしい未来をもつ東海市の市民です。 私たちは、よい市民となり、いっそう豊かで住みよいまちをつくるために、ここに市民憲章をさだめます。緑と花につつまれたきれいなまちをつくりましょう 笑顔にみちた心のかよう家庭をつくりましょう ゆたかな心を養い すこやかなからだをつくりましょう 進んできまりを守り よい習慣をつくりましょう 元気で働き 明るいしあわせなまちをつくりましょう
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市民憲章
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市町村の「憲章」はどこも似通ったものが多いが、北上市の市民憲章はユニークであり、文学性の高いものとなっている。 北上市市民憲章(1992年(平成4年)1月5日制定) あの高嶺鬼すむ誇り その瀬音久遠の賛歌 この大地燃えたついのち ここは 北上
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市民憲章
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昭和59年4月1日に制定。公募により集まった38件の中から佐賀県立鳥栖高等学校教諭の小林肇のものが最優秀賞を受賞し、「鳥栖市民憲章」として採用された。市民憲章が彫られて石碑が市役所の前に建てられている。 わたくしたち鳥栖市民は、九千部の山なみや筑後川の、清く美しい自然との調和をはかり、さらに交通の要所としての機能を生かし、力強く未来に向ってすすみます。 自然を愛し、住みよいまちをつくります。 きまりを守り、平和で明るいまちをつくります。 ふれあいを大切にし、思いやりのあるまちをつくります。 教養を高め、文化のかおるまちをつくります。 働くことを喜び、活力あるまちをつくります。
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