市へ移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:24 UTC 版)
1988年、日銀は中区基町に新築移転を決定。1992年、日銀は中区基町に新築移転したことにより、この建物は日銀によって処分が考えられていた。この頃、被爆50年目にあたり広島市は市内にある被爆建物を洗い直していた時期であり、1994年広島市は旧日銀支店を被爆建物台帳に登録、更に広島市を中心に建物を保存するよう要望が出していた。そこで日銀は広島市へ売却する方向で進めようとするものの、広島市はその購入費用について高額であったため難色を示した。これに関連して1997年(平成9年)には建物を取り壊し再開発する計画を広島商工会議所が立てたが頓挫している。 そこで広島市が日銀・大蔵省および建設省に対し出した提案が「広島平和記念都市建設法に基づく贈与」であった。日銀は協議の結果広島市側の要望であった、文化財保護法に基づき国の重要文化財に指定されれば無償贈与、広島市指定重要文化財に指定されれば市が維持管理費を全額負担し固定資産税や都市計画税など租税免除する無償貸与、する方針を正式決定した。 2000年7月25日、広島市指定重要文化財に指定、同月31日平和記念都市建設法に基づき使用貸借契約(無償貸与)を締結する。 その後、市は市民や各種市民団体等からのアイデアや意見を集め、2001年2月学識経験者を中心に「旧日本銀行広島支店保存活用方策検討委員会」を設置。浅利慶太や安藤忠雄ら著名文化人の提言および委員会からの報告書を受け、2003年市は「建物全体を市民主体の芸術・文化活動発表の場として活用する」ことを決定した。
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