市の沿革
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1937年(昭和12年)11月3日:新居郡新居浜町、金子村、高津村が合併して市制施行。当時の人口は32,254人、面積は8.39 km²。 1953年(昭和28年)5月3日:新居郡垣生村、大島村、多喜浜村、神郷村と合併。(人口73,671人、面積43.42 km²。) 1955年(昭和30年)3月31日:新居郡泉川町、中萩町、船木村、大生院村を編入。(人口101,870人、面積161.35 km²。) 1956年(昭和31年)9月28日:市内の大生院西部を西条市に編入。(人口106,421人、面積142.04 km²。) 1959年(昭和34年)4月1日:新居郡角野町を編入。これにより新居郡が消滅。(人口120,863人、面積157.41 km²。) 2003年(平成15年)4月1日:宇摩郡別子山村を編入。(人口127,982人、面積234.30 km²。) 新居浜市の系譜(町村制実施以前の村)(明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 明治41年 昭和12年 昭和28年 昭和30年 昭和34年 平成15年 1月1日 11月3日 5月3日 3月31日 4月1日 4月1日 町制施行 合併・ 編入 編入 編入 編入 市制施行新居浜浦━━━━━新居浜村━新居浜町┳新居浜市━━━━┳━━━┳━━┳━┳━━━━┳現在に至る 金子村━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 高津村━━━━━━┛ ┃ ┃ え ┃ ┃ 大島村━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 多喜浜村━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 神郷村━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 垣生村━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ あ ┃ ┃ ┃ 泉川村━━━━━━━━泉川町━━━━━━━━┫ ┃ ┃ う ┃ ┃ ┃ 中萩村━━━━━━━━━中萩町━━━━━━━┫ ┃ ┃ 船木村━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ 大生院村━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ い ┃ ┃ 角野村━━━━━━━━角野町━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ 別子山村━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛あ 昭和14年3月10日 泉川村が町制施行し、泉川町となるい 昭和14年10月1日 角野村が町制施行し、角野町となるう 昭和17年4月1日 中萩村が町制施行し、中萩町となるえ 昭和31年9月28日 大生院の一部が西条市へ境界変更(注記)新居浜町以外の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
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市の沿革
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い町制を施行、那須郡大田原町が発足。 1954年(昭和29年)12月1日 - 大田原町・親園村・金田村が合併し、市制を施行。大田原市となる。 1954年(昭和29年)12月31日 - 那須郡野崎村の一部を編入。 1955年(昭和30年)4月1日 - 那須郡西那須野町の一部(加治屋)を編入。 1955年(昭和30年)11月5日 - 那須郡佐久山町を編入。 1992年(平成4年)7月1日 - 那須郡黒羽町と境界変更。 1993年(平成5年)12月1日 - 塩谷郡喜連川町と境界変更。 1995年(平成7年)12月1日 - 那須郡黒羽町と境界変更。 2001年(平成13年)1月1日 - 矢板市と境界変更。同日、塩谷郡喜連川町とも境界変更。 2002年(平成14年)1月1日 - 黒磯市と境界変更。同日、那須郡黒羽町と境界変更。 2004年(平成16年)12月31日 - 黒磯市と境界変更。 2005年(平成17年)10月1日 - 那須郡湯津上村・黒羽町を編入。 2006年(平成18年)8月1日 - 那須郡那珂川町と境界変更。 2009年(平成21年)8月1日 - さくら市と境界変更。
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市の沿革
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により塩谷郡矢板村、泉村、片岡村を設置。 1895年(明治29年)6月25日 - 矢板村が町制施行し矢板町となる。 1954年(昭和29年)12月31日 - 矢板町が那須郡野崎村の一部を編入。 1955年(昭和30年)1月1日 - 矢板町、泉村、片岡村の新設合併により矢板町が発足。新町の名称については、当初は塩谷町とすることになったが矢板町の議会や町民が反対し知事の裁定で矢板町に決定している。 1955年(昭和30年)4月1日 - 矢板町の一部(旧片岡村大字松島)を氏家町(現在のさくら市)に分合。 1958年(昭和33年)11月1日 - 矢板町が市制施行し矢板市となる。
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