昭和の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:54 UTC 版)
合併促進法により旧土岐郡町村の枠組みが議論される。 当初は「土岐津、泉、肥田の北部のみ」の市町村合併や「下石、妻木、駄知等の南部のみ」の枠組み等も研究される。 合併案に際し、下石町および妻木町へ多治見市から激しい合併の勧誘があった。 当初現土岐市の枠組みに駄知町は難色を示し、南部のみの枠組みを推進する。 合併に際し、市役所の所在地について下石町と土岐津町は対立し、激しい主導権争いを繰りひろげ何度も白紙になりかけたが、駄知町が仲裁に入り協議が行われ、幾つかの条件をつけ合意する。市役所は合併後2年以内に土岐郡役所跡に置く 下石町に公会堂を設置する(旧市民センター、土岐市西部体育館 現:西部こども園) 妻木町および下石町の病院の整備(旧中央病院 現:ウエルウエア土岐) 駄知町に陶磁器試験場を設置する(現セラテクノ土岐)…等 合併目前、「陶都市」の名称で合併しようとしたが、多治見市など他陶磁器産地の猛反発があり、当時の自治省(現総務省)に却下され、その後「美濃陶都市」でも却下され、いくつかの案より古来からの郡名である土岐を採用し「土岐市」と命名した(隣接し先に合併した瑞浪市は、土岐郡瑞浪土岐町他周辺町村が合併し誕生しているが、市の名称で「瑞浪市」案と「土岐市」案で対立したが、「瑞浪市」を採用している。)。 1955年(昭和30年)2月1日 土岐市制施行。 合併後2年間駄知町(旧駄知町役場)に市役所設置(議員が入りきらず駄知小学校講堂で議会が行われた)。 その後泉支所と土岐津支所が廃止され、駄知支所を設置、土岐津町に市役所が建設される。
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