昭和の再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 08:58 UTC 版)
戦後、中津川流域の水力発電所は東京電力が継承した。同社は中津川の水源にダムを築き、広大な野反湖を誕生させ、すぐ下流には渋沢ダムおよび切明発電所(2万キロワット)を新設した。1972年(昭和47年)には中津川第一発電所で水車発電機を1台増設し、既設発電機の増強とあわせ総出力を12万6,000キロワットとした。それに伴って高野山ダムでは貯水量拡大を目的とした再開発事業が行われた。旧ダムは撤去され、ロックフィルダムに刷新。これは表面をアスファルトで舗装し水をせき止める表面アスファルト遮水壁型フィルダムである。また、発電所の出力調整による河川水位の急激な変動を抑えるため、発電所の放水路に逆調整池として穴藤(けっとう)ダムを建設した。 再開発の手は下流の発電所にも伸ばされている。1954年(昭和29年)、中津川第三発電所を廃止し、代わりに下船渡発電所(6,100キロワット)を設置。中津川第二発電所についても1994年(平成6年)に出力を2万700キロワットへと増強。さらに穴藤ダムから発電所直上の調整池までに存在するわずかな落差を利用した水車発電機が増設され、2万2,500キロワットとなっている。
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