昭和の内閣顧問
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1943年(昭和18年)3月17日、東條内閣において内閣顧問臨時設置制(昭和18年勅令第134号)が制定され、「大東亜戦争に際し重要軍事物資の生産拡充その他戦時経済の運営に関する内閣総理大臣の政務施行の枢機に参せしむる」(現代式表記)ため、1937年に設置された内閣参議を廃止して内閣顧問が親任官として置かれた。同年10月18日、鈴木忠治・鈴木貞一・藤原銀次郎・結城豊太郎・山下亀三郎ら財界を中心に7名が任命された。 1944年(昭和19年)10月27日、小磯内閣で改めて内閣顧問臨時設置制(昭和19年勅令第604号)が制定され、その定義も「大東亜戦争に際し内閣総理大臣の国政運営の枢機に参せしむる」(現代式表記)ためのものと改められた(「重要軍事物資の生産と戦時経済運営に関し」の文言が削除)。施行日の翌28日、有田八郎・小泉信三・正力松太郎・小泉又次郎ら各界から12名が任命された。 1945年(昭和20年)4月26日、鈴木貫太郎内閣は来るべき本土決戦準備の推進のために、浅野良三・藤山愛一郎・千石興太郎・岩田宙造ら各界から10名を任命した。 しかし終戦直後に発足した東久邇宮内閣以後は内閣顧問が置かれず、第1次吉田内閣当時の1947年(昭和22年)5月3日に内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)が制定されたことにより廃止された。
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