巻の分け方を変えて60巻にする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/02 20:36 UTC 版)
「源氏物語60巻説」の記事における「巻の分け方を変えて60巻にする説」の解説
寺本直彦は、以下のようにある文献ではある巻の異名とされる巻名が別の文献ではその巻の並びの巻とされていることがあるなど、異名と並びがしばしば「接触」している現象が存在することを見いだし、それを根拠として、「源氏物語における巻名の異名とは、かつて別々の巻であったものが一つの巻になったときの統合された方の巻の名前が残った痕跡であり、並びの巻とはかつて一つの巻であったものが分割されたことの痕跡である。源氏物語の巻には、1巻にまとめて扱われたり、数巻に分けて扱われたりする、巻数として流動的な存在である巻がいくつかある。」として現在内容を確認することが出来る文献の範囲内ではそのような現象を認められない異名や並びの巻についても同じような可能性を想定した。それを元に「現在1巻と数えられている巻のうちのいくつかの巻を複数巻に分割して数えることによって現在54帖とされている源氏物語のほぼ同じ範囲・内容のものを60巻と数えるような数え方が存在したのではないか。」とした。 桐壺 - 壺前栽 若菜上 - 若菜下 東屋 -「狭筵」(故実書『拾芥抄』など) 宿木 - 貌鳥 夢浮橋 - 法の師 壺前栽について、奥入には、「桐壺 このまき一の名 つほせんさい 或本分奥端有此名謬説也 一巻之二名也」(現在桐壺と呼ばれている巻に「壺前栽」という異名があり、さらに現在の「桐壺」に相当するものが「壺前栽」と「桐壺」という二つの巻に分かれている「或本」があった。)との注釈が記されている。 若菜巻について、かつては白造紙のように全体を1巻と数える数え方が主流であったが、その後この巻を2巻に分割して若菜上・若菜下とした上で、若菜下を若菜上の並びの巻とするという数え方が主流となっており、また上巻が「箱鳥」の異名で、下巻が「諸鬘」の異名で呼ばれる(河海抄)のに対し、上下巻を合わせたときも「箱鳥」の異名で呼ばれること(異本紫明抄)がある。また『源氏秘義抄』や『源氏抄』(明応二年奥書本)では巻名目録において「わかな 上下もろかずら二巻」としている一方で、その後の各巻の巻名歌を挙げる部分では「わかな」の巻名歌を挙げたあとで「ならひもろかずら」の巻名歌を挙げている。 貌鳥巻については宿木巻の異名とする文献(『紫明抄』・『河海抄』、『源氏大鏡』・『源氏小鏡』)が主流と言えるものの、宿木の並びの巻であるとする文献(『源氏秘義抄』(宮内庁書陵部蔵)、『源氏抄』(桃園文庫旧蔵東海大学現蔵・明応二年(1493年)奥書本)、『光源氏抜書』(桃園文庫旧蔵))もいくつか存在し、中でも「為氏本源氏物語古系図」では末尾の巻名目録において「かほとりやとりき」と記して、目録末尾に「桐壺から夢浮橋まで五十五帖」と通常より1帖多い55帖という帖数を記している 狭筵について、故実書『拾芥抄』(前田尊経閣文庫本)に収められた「源氏物語巻名目録」では「卅二 東屋」に小文字で「狭席イ」」(「イ」はおそらく異名の意味)と付記されている。 浮舟の異名または並びとしての「狭筵」「源氏小鏡」のいくつか、京都大学蔵本、大阪市立大学蔵本、天理大学天理図書館蔵本などには、浮舟巻に「狭筵」の異名を挙げている。 法の師について、源氏釈において、「三十六 夢浮橋」の後に続く巻として、「三十七 のりのし」なる名前の巻が巻名のみ挙げられていることから源氏釈は現在本文が残っている通りに「夢浮橋」の後に「法の師」という巻が存在した源氏物語を対象に注釈を加えたのであり、その後この二つの巻が合わさって一つの巻になり、「法の師」が現在の「夢浮橋」の後半部分になるとともに「夢浮橋」が「法の師」の異名を持つようになったのではないかとしている。
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